●原始(旧石器・縄文・弥生・古墳時代)

旧石器時代は寒冷な気候で、当時の東北地方はコメツガ、トドマツ、カラマツ、トウヒなどの針葉樹を主体とする森林が広がり、その森にはバイソン(ハナイズミモリウシ)やオオツノジカなどが生息していました。奥州市でも上萩森遺跡や生母宿遺跡から尖頭器やナイフ形石器などの遺物が出土していることから、狩猟生活を中心としていた旧石器人が獲物を捕らえ、石器を使って肉を解体したり、皮や骨を加工していたようです。

縄文時代に入るころには気候が温暖になり、落葉広葉樹を主体とする現在とほぼ同じような植生となります。縄文人の獲物もニホンジカやイノシシが中心となり、木の実や果実、芋など自然の豊かな恵みを取り入れた狩猟採集の暮らしとなりました。奥州市では縄文時代早期から晩期まで多くの遺跡が発見されています。中でも胆沢扇状地のほぼ扇頂部に位置する前期後葉の環状集落「大清水上遺跡」は縄文時代の集落の変遷を示す重要な遺跡として国史跡に指定されています。後期から晩期には北上川に面した杉の堂遺跡など低地にも遺跡が作られるようになります。

弥生時代には、東北地方にも稲作が伝わりました。奥州市でも常盤広町遺跡や兎Ⅱ遺跡から籾跡のついた土器が発見されているほか、清水下遺跡などから稲刈に用いた「石庖丁」(岩手県有形文化財)が発見されており、稲作農耕を中心とする社会が成立したことを示しています。

古墳時代の5世紀後半には、日本最北端の前方後円墳である「角塚古墳」(国史跡)が作られました。中半入遺跡から古墳時代の大規模な集落跡も発見されており、大和王権との密接な関係が伺えます。

【石器(上萩森遺跡出土)】

  • 石器(上萩森遺跡出土)
    石器(上萩森遺跡出土)

旧石器時代は、約250万年前から約1万3,000年前とされ、前期・中期・後期に分けられています。日本では確かな旧石器文化は後期旧石器時代(約3万5、000~約1万3,000年前)だけとされ、さらにその後半の時代のものが大部分です。

奥州市胆沢区若柳の上萩森遺跡から発見された石器(ナイフ形石器、彫刻刀形石器、掻器など)は、約3万年前から2万年前のものとされ、全国的にも数少ない後期旧石器時代の前半から中ごろの遺跡として注目されています。

胆沢郷土資料館に展示されています。

【参考:ハナイズミモリウシ】

  • 【参考:ハナイズミモリウシ】
    【参考:ハナイズミモリウシ】

ハナイズミモリウシ(Leptobison hanaizumiensis)は、昭和2年(1927)に岩手県南の花泉村金森(現一関市)で発見された化石獣骨で、今から約2万年に生息していた野牛(バイソン)です。発見地である花泉遺跡からは、肋骨で作った骨角器も発見されており、旧石器時代の人類がハナイズミモリウシやナウマンゾウ、オオツノジカなどの大型動物を狩猟対象にしていたことがわかります。

奥州市牛の博物館に複製が展示されています。

【国史跡:大清水上遺跡】

  • 国史跡:大清水上遺跡 航空写真
    国史跡:大清水上遺跡 航空写真

今から約1万3000年前から2,300年前までの約1万年間を縄文時代と呼び、縄文時代に使用されていた縄目の文様を持つ土器のことを縄文土器といいます。縄文時代はこの縄文土器の型式からさらに草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に区分されます。

奥州市では草創期の土器は出土していませんが、それ以外の早期から晩期の遺跡は多く存在しており、胆沢区若柳の大清水上遺跡は縄文時代前期の終わりごろ、今から5,000年ほど前のむらの跡です。長さ10メートル以上の大型の住居が直径20メートルの広場を中心にドーナツ状に配置された環状集落で東北地方南部を中心とする縄文時代の特徴的なむらの形です。環状集落出現期の完成形態であり、その形成過程を探る上できわめて重要です。

【燕尾型石製品・イチジク型土製品(大清水上遺跡出土)】

  • 燕尾形石製品・イチジク形土製品(大清水上遺跡出土)
    燕尾形石製品・イチジク形土製品
    (大清水上遺跡出土)

燕尾型石製品は秋田県や岩手県内の数遺跡から出土しています。イチジク型土製品は嘉倉貝塚や糠塚貝塚をはじめ宮城県北部の数遺跡からしか発見されておらず、縄文時代前期後半の大木式土器圏でも限定地域に分布する土製品です。ともに縄文時代の人々の交易や交流を示す資料として注目されます。

胆沢郷土資料館に展示されています。

【大木式土器(大清水上遺跡出土)】

  • 大木式土器(大清水上遺跡出土)土器集合写真
    大木式土器(大清水上遺跡出土)
    土器集合写真

大清水上遺跡から出土する土器の多くは、主体となる縄文時代前期後葉(約5,000年前)の大木5式期のものです。大木式(だいぎしき)土器は、東北地方を中心に分布する縄文時代前期中葉から中期末葉の土器形式で、1式期から10式期に分類されています。

胆沢郷土資料館に一部展示されています。

【大洞式土器(杉の堂遺跡出土)】

  • 準備中
    大洞式土器(杉の堂遺跡出土)

水沢区佐倉河の杉の堂遺跡は、縄文時代後期・晩期、弥生、奈良、平安時代の遺跡で縄文時代晩期の土器が多く出土しています。形式は東北地方を中心として分布する大洞式(おおぼらしき)土器であり、浅鉢、壷形、台付き浅鉢、注口など様々な器形に複雑な文様が描かれ、朱色に塗色されるものもあります。

【籾跡のついた土器(兎Ⅱ遺跡出土)】

  • 籾跡のついた土器(兎Ⅱ遺跡出土)
    籾跡のついた土器(兎Ⅱ遺跡出土)

江刺区愛宕の兎Ⅱ遺跡から出土した弥生時代中期の土器のかけらに、短く丸みのあるジャポニカ種の籾の痕がついているのが発見されました。弥生時代の遺跡で見つかる米は、すべてジャポニカ種であり、大陸から伝わって北九州で始まった米作りが一気に東北地方にまで広がったことを示すもので、重要な資料です。

岩手県立博物館に常設展示されています。

【県有文:石庖丁(清水下遺跡出土)】

  • 県有文:石庖丁(清水下遺跡出土)
    県有文:石庖丁(清水下遺跡出土)

胆沢区南都田の清水下遺跡から弥生時代中期の石庖丁と呼ばれる石器が2点出土しています。稲の穂を摘む道具であり、これにより米作りが行われていたことがわかります。その頃の稲は実る時期がばらばらであり、脱粒性もなかったため、中央に開けた穴に紐をつけて指を通して持ち、一穂ずつ摘み取っていました。

胆沢郷土資料館岩手県立博物館に実物が展示されています。

【国史跡:角塚古墳】

  • 国史跡:角塚古墳 航空写真
    国史跡:角塚古墳 航空写真

胆沢区南都田にある角塚古墳は、日本最北の前方後円墳として国の史跡に指定されています。前方後円墳は、3世紀後半から6世紀まで全国各地で作られており、東北地方でも4世紀以降に作られた古墳が、福島県、宮城県、山形県でかなりの数見つかっていますが、5世紀の第3四半期(450~475年)頃に作られた角塚古墳を唯一の例外として、岩手県、秋田県、青森県からは一基も発見されていません。埋葬された王が誰なのかは、判明していませんが、前方後円墳は大和王権との密接な関係を示すものであり、その勢力が現在の岩手県南地方まで及んでいたことを示すものとして重要です。

【円筒埴輪・朝顔形埴輪(角塚古墳出土)】

  • 円筒埴輪・朝顔形埴輪(角塚古墳出土)
    円筒埴輪・朝顔形埴輪(角塚古墳出土)

角塚古墳は、昭和49・50年の調査で、葺石、埴輪、周湟を伴った前方後円墳であることが確認されました。古墳で行われた儀式は、亡くなった前王の葬送儀礼と新王の即位式だったと考えられています。角塚古墳からは、円筒埴輪や朝顔形埴輪の破片が多く出土していますが、これらは列状に並べられ、墳丘を守る壁の役割を果たしていたのでしょう。

胆沢郷土資料館に一部展示されています。
昭和49・50年に出土した埴輪は一括して岩手県有形文化財に指定されています。

【形象埴輪(角塚古墳出土)】

  • 形象埴輪(角塚古墳出土)
    形象埴輪(角塚古墳出土)

角塚古墳からは、円筒埴輪や朝顔形埴輪のほか、形象埴輪(猪の鼻・鶏・裸馬などの動物埴輪、人物埴輪、家形埴輪など)の破片も出土しています。これらの形象埴輪は、即位式のためのもので、一つ一つの形に意味があったと考えられています。

胆沢郷土資料館に一部が展示されています。