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少年團と自治精神

子爵 後藤新平
茲に少年團のことに就いて、平生の抱負を述べる機會を得たことは、不肖、後藤新平の最も欣快とするところであります。
顧みれば、世界の大戰は、實に文明の大地震でありました。さしも、榮華を誇りたる物質文明も、兵火に焼かれては一たまりもなく、土臺石からぐらぐらと搖り動かされたのであります。これは、各國の國民が、武装的文弱に耽つた必然の刑罰であつて、世界は、こゝにその弊害を目撃するとともに、文装的武備の必要を心から痛感したのであります。僅かの物質的発明に心驕りて、天を侮りたる結果は怖ろしいものである。我等は眞の文明を、築き上げなければならぬ。それは、自治の精神の上に、建てあげられた文明であるといふことが、明らかになつたのであります。
自治の精神こそは、國家の土臺石であり、社會の柱である。土臺石と柱とがしつかりして始めて健全なる文明が建立されるのであります。
人の御世話にならぬ樣。
人の御世話をする樣に。
そして酬いをもとめぬ樣。
これは、自治の三訣として、私が少年時代から、心掛けて来たモツトーであります。少年團の行くべき途も、このほかにはありません。
少年の教育機関としては、學校もあれば、家庭もある。しかし少年の心に、最も偉大なる感化を及ぼすものは社會の教化である。學校と家庭と社會。此の三つの力で少年は、教化されるものでありますが、少年團とは、實に此の三要素を合はせた、自治の訓練場又一大倫理運動場であります。
かかるが故に少年團は、軍隊の準備教育ではない。又外國の流行に誘惑されたものでもない。實に自治的國民を養成すべき、社會の土臺石であつて、少年團の自治が、やがて國民の自治となり、遂に文明社會の柱となるのであります。
さて、少年團の事業は、國家的であり、社會的であり、同時に文明的であります。而して此の重大なる使命は、少年の心の如くに、大自然と共に動き始めて達成し得るものであります。少年の心理は、大哲學者のそれの如く大自然の秘密を湛へて居る。この極めて自由にして放奔なる天性と、無邪氣にして、眞面目なる發動とが、少年團の生命である。所謂詰込主義の教育を離れて、自然の大氣を呼吸しつゝ、少年と共に楽しむといふ心持が、少年團の眞面目であります。
昔から『教ふるは學ぶの半』といふが、少年團員と指導者、又團員互に師となり弟となり、和氣靄々たる社交の一團をつくることによつて、少年團の自治は成立するのであります。
少年の天性は、一人一人に獨得の長所もあれば短所もある。これが少年團といふ自治團體に入る時、互に補足し互に制裁して、實に愉快に發達して行く處が、少年團第一の妙處である。これは、法律に拘束されて起つたものでもなければ、權力に強制されて出來たものでもない。従つて、地方には地方の特色がありその特色は、益々發揮すべきものであります。少年を指導するものが、少年に指導されつゝ、自治の面目を發揮するところに、少年團第二の妙處はある。
今や、立憲政治とか、自治生活だとか、口には立派なことを唱へながら、實は腐敗堕落を重ねつゝある、大人(おとな)の政治を觀るごとに、此の少年團の純眞なる、自治生活こそ、實に、將來國家の土臺石社會の柱となるとの感を深ふせざるを得ないのであります。それ『子供は、おとなの父である』とか、ウオーズ、ウオーズの歌へる如く、私は少年團團員諸君と共に、新らしき文明へと、勇ましく進軍するものであります。終り。
(原文のまま)