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後藤新平 ゆかりの人々

後藤 和子(ごとう かずこ)

1866~1918(慶応2~大正7)
和子 夫人

最大の理解者

安場保和の次女として生まれ、明治16年、17歳で満26歳の後藤新平と結婚しました。
癇癪持ちで直情径行、矛盾撞着のかたまりのような後藤新平との結婚生活は、姑に仕え、夫に仕え、まさしく賢夫人を絵に描いたような一生だったと言えるでしょう。
新渡戸稲造博士はその著作「偉人群像」のなかに、和子夫人のことを「厳格な古武士的家庭に教育を受け(中略)衣食に関する心掛け、身だしなみ、言葉づかいなど、一部始終両親の直接監督の下に鍛えられたから、あの喧しい後藤伯の夫人となっても、何の不足もなかった。殊に彼女の忍耐の力の偉大なることは、我輩度々目撃したことである。それに日々の修養に心掛けたことは誰人も夫人に会ったように推量される。」と記しています。
後藤新平の性格の全部を理解し、受けとめて陰で支えながらも決して消極的な生きかたではなく、むしろ果敢に後藤新平の生涯を共に生きていた感を周囲の人に与えていたようである。
「後藤男爵に良いところがあるとすれば、それは夫人の影響を受けたから。また夫人に悪いところがあるとすれば、それは後藤男爵の影響を受けたから」と冗談まじりにせよ、よく言われたといいます。
後藤新平は満鉄総裁の時代、結婚25周年を記念して和子夫人にねぎらいと感謝の気持ちを込めてアメリカ旅行をプレゼントしています。それは新平が自分の旅行などに同行させると政治がらみや視察旅行になってしまうという配慮から、新渡戸稲造夫人のメアリが帰国する際に同行させてもらうということにしていました。
新平の棲霞詩艸には、「欧米漫遊中の和子に」という詩書きで次の和歌が残されています。
「家に居ても旅にありてもかにかくと 明け暮れ妹を思いけるかな」
徳富蘇峰は国民新聞紙上において、弔いの辞を記した後、「後藤男爵は最上無二の好伴侶を失った」といいました。
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