利用案内

後藤新平 ゆかりの人々

児玉 源太郎(こだま げんたろう)

1852~1906(嘉永5~明治39)
児玉 源太郎

台湾開発につくした総督

山口県徳山市で中級武士の子として生まれ、17歳で戊辰戦争に参加しました。
明治維新後、陸軍に入り、同25年、陸軍次官として軍政の実権を握り、日清戦争では大本営留守家参謀長になりました。
日清戦争の終わりごろ、日本へ帰還する軍人のための検疫が問題となりました。イギリスで本国の伝染病が大流行したのを懸念したからです。児玉源太郎次官は後藤を推薦しました。後藤は見事に大検疫事業を成しとげたのです。そればかりか、後藤は児玉源太郎の知遇を得ることとなったのです。
明治31年乃木希典の後をうけて第4代台湾総督となりました。このとき、後藤新平を民政長官として登用し、台湾開発に努めたのです。台湾は日清講和条約により、日本が治めることとなりましたが、当時の台湾は治安が悪く、土着民族や軍政が支配をしていました。このため、児玉総督は、台湾軍司令官として軍部をおさえ、後藤長官に民政への転換促進を任せたのです。
児玉源太郎は、この間、陸軍大臣や内務大臣、文部大臣などを兼任し、本国にいることが多かったので、台湾統治の実権は、ほとんど後藤新平民政長官にまかせきりでした。
明治37年の日露戦争には満州軍総参謀長として出征しました。戦後、陸軍参謀総長になるなど明晰な頭脳と臨機応変な手腕によって力量を発揮し、知将としての名声が高かった人でした。
戻る印刷用ページ切替次へ