後藤新平 ゆかりの人々

阿川 光裕(あがわ みつひろ)

1845~1906(弘化2~明治39)
阿川 光裕

学資支給の面倒も見た

弘化2(1845)伊勢(三重)の菰野藩士阿川正策の二男として生まれ、安井息軒の門に入り漢学を学びました。
明治2年、胆沢県大参事として中央政府から派遣された安場保和に随従し、史生として赴任してきました。(当時、岡田俊三郎と名乗っていました。)
明治7年、福島県須賀川郡長となり、新平を水沢から呼びよせ、須賀川医学校へ入学させました。月3円の学資を支給し、生活の面倒もみました。新平はその意に応え、近代諸科学の基礎と医学をここで学びました。
明治8年、初代の愛知警察部長になり、新平を名古屋に招き寄せ、新平は愛知県病院に就職、後に病院長兼医学校長となりました。
明治31年、新平が台湾総督府民生局長(後に民政長官)になったとき、阿川は新平より先に台湾に渡り、総督府県治課に籍を置いていました。阿川は台湾全島にわたり、阿片吸煙の習慣調査をしたりして新平の施政を陰から援助しました。
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