夜の9時ともなると真先に新平の声がけで床につきますが、自分だけは床をぬけ出し勉強していたと云う事です。
そうした努力が実って、塾(立生館)が郷学校となった時には、その代表として権令の前で論語の発表をさせられるまでになりました。