24才で愛知病院長となりましたが、その翌年自由党総裁という偉い政治家が暴漢におそわれる事件があり、新平はその手当てにあたりました。
これは、「板垣死すとも自由は死せず」という有名な言葉を残した事件でもあり、これがもとで新平が広く世間に名をとどろかす事になったのです。