1. 奉行所
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町奉行の配下には、本所奉行、本所道役、小伝馬町牢獄、町年寄などが属していた。また、寺社奉行・勘定奉行とともに評定所一座の構成員として、中央官職の性質もあわせ持っていた。
幕府の政治、とくに幕政改革のおりなど新政策を江戸市民に浸透させるには、多分に町奉行の力量や識見に負うところがあった。
2. 鳥居耀蔵
江戸後期の幕臣。父は大学頭林述斎。鳥居家の養子。名は忠耀。甲斐守。目付時代に江川太郎左衛門英竜とともに江戸湾海防巡見を行うが、改革案で江川と対立。洋学者への反感から蛮社の獄を引き起こした。1841年南町奉行となり、老中水野忠邦の改革政治の実行者として市中取締りに辣腕をふるい、妖怪(耀甲斐)と恐れられた。1844年開国勧告のオランダ国書をめぐる評議で老中安部正弘と対立、在任中の不正が発覚して免職改易された。
3. 小伝馬町牢屋敷
獄舎には揚座敷、揚屋、大牢、二間牢、百姓牢があった。揚座敷には御目見以上直参の武士、揚屋には御目見以下の直参、陪臣、およびこれらに準ずる僧侶、神職をいれた。大牢、二間牢、百姓牢に町人、農民、浪人、足軽・中間などをいれた。女子は身分に関係なく揚屋のひとつにいれ、女牢とよんだ。
小伝馬町の牢屋は、町奉行、寺社奉行、火附盗賊改など裁判管轄が異なってもそれぞれの囚人を収容したため、在牢人数は多く、幕末では日に平均600〜700人の収容者であったという。そのうえ大牢や二間牢では一畳数人以上という過密状態のときもあった。
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