1. 蘭学
蘭学はオランダ人やオランダ語を通じて学ばれた西洋の学問、すなわち洋学とよばれるにふさわしい性格をもっていた。
蘭学の研究対象は広汎多岐にわたるが、およそ次の4分野に大別される。
学問としての蘭学が始まったのは、『蘭学事始』に描写されているように、杉田玄白、前野良沢らによる『解体新書』の翻訳、出版からである。これを境に本格的なオランダ語の書物の翻訳が始まったといってもよい。
蘭学の担い手の中心は、職業柄オランダ語に強い長崎通詞をのぞけば、医者であった。
1840年頃を境に蘭学の性格が変化する。アヘン戦争(1839〜42)で清国が敗戦すると、為政者たちが軍備改革の必要性を感じはじめ、蘭学も、それまでの医学から軍事科学にその中心が移った。
2. 蘭方医学
オランダ医学を日本に伝えた主役や、長崎出島のオランダ商館の医師たちであった。1641(寛永18)にオランダ商館が平戸から長崎に移転して以降、約200年間、ほぼ毎年1、2人の医師が来任した。その人数は約63人に達するが、初期のライネ、ケンペル、中期のツンベルグ、後期のシーボルト、モーニケらは、とくによく知られている。
商館の医師の本来の職務は、商館員の健康管理にあり、館外に出て一般の日本人を診療したり、交遊することは禁じられていたが、それでもときには公に許可を得て日本人を診療したり、日本人医師たちの質問に答えたりしていた。これがとくに目立つのは、オランダ商館長の一行が毎年1回(のちには5年に1回)江戸参府を行ったときで、江戸への道中、あるいは江戸滞在中の旅館で、商館長らの一行と問答を交わした日本人学者は少なくない。このことが蘭学者たちの蘭学に対する関心をいっそう募らせ、ついには新しい知識、なかでも西洋医学の知識を得るために、長崎へ赴き、つてを求めて商館の医師に教えを請う者がしだいに増加していった。
日本最初の西洋医学書の翻訳書『解体新書』の出版(1774)を契機に、オランダ語医書の日本語翻訳は相次いで行われ、これが西洋医学の知識の普及に大きな力を示した。
なお、明治維新以後、明治政府が医学教育についてドイツ医学を範とすることを定めたため、オランダ医学はその地位をドイツ医学に譲った。
3. 杉田玄白
![]() 杉田玄白 |