4. 大槻玄沢
おおつきげんたく 1757(宝暦7)年〜1827(文政10)年

大槻玄沢 |
江戸中期の蘭方医・蘭学者。はじめ陸奥国一関藩医建部清庵に医を学び、のち江戸に出て杉田玄白・前野良沢に蘭学を学ぶ。1785(天明5)長崎に留学、翌年江戸に帰って仙台藩主伊達氏の侍医となり、蘭学塾芝蘭堂を開く。
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5. シーボルト
1796年〜1866年
ドイツの医学者・博物学者。1823年、オランダ商館の医員として長崎に着任。鳴滝塾を開いて実地診療のかたわら、高野長英、伊東玄朴、二宮敬作など多数の門人を育成した。専門の医学のほか、動物、植物、化学と各分野にわたり門人たちの眼を開かせた。1828(文政11)年、国禁の地図の海外持出しが発覚し、本国に送還された。1859(安政6)年再び来日し、1862(文久2)年に帰国。著書『日本』などを通じてヨーロッパに日本を紹介することに寄与した。

シーボルト |

シーボルトが使用した医療器具 |
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6. 鳴滝塾

鳴滝塾全景のスケッチ |
シーボルトの診療所兼私塾。1823(文政6)年オランダ商館付医師として来日したシーボルトは、はじめ長崎の出島の外科室で診療にあたったが、名声が広がり、通詞の楢林塾・吉雄塾を借りて診療と医学教育を行うようになった。翌年長崎奉行の許可を得て、長崎郊外の鳴滝(現在の長崎市鳴滝)に2町歩余の土地と家屋を購入し、診療所兼私塾を設けた。木造2階建で、厨房、書庫、石倉などがあり、庭園にはシーボルトが日本各地で採集した薬草類が移植・栽培された。彼は出島から通って診療と臨床講義を行い、自然科学を教授した。ここで学んだ俊才は高野長英、二宮敬作、美馬順三、高良斎ら50余人に及び、多くは次代の科学文化発展の担い手となった。
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7. シーボルト事件

シーボルト事件の発端となった
日本地図の一部 |
江戸時代後期に起こった裁判事件。1828(文政11)長崎出島のオランダ商館付医官シーボルトが任期がみちて帰国しようとしていた時、間宮林蔵の密告により幕府の天文方高橋作左衛門(景保)が国外持出し禁止の日本地図、その他を以前シーボルトに贈っていたことなどの事実が発見されて起こった。江戸と長崎で景保はじめ関係した幕吏、通詞、門人ら数十名が逮捕され処罰を受け、景保はついに獄死した。シーボルトも国外追放、再渡航禁止となり当時の蘭学者に大きな打撃を与えた。
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