
(東京都)

青山町善光寺の長英碑 |
46年余りの高野長英の人生で、彼の足跡が多く残され、蘭学者とし充実した活動をおこなった場所が江戸である。
その足跡は、日本橋堀留町の薬鋪・神崎屋源造をふりだしに、浅草材木町の漢方医・川村右仲、吉田長叔の「蘭馨堂」、そして、町医者を開業した京橋鈴木町の裏店、麹町貝坂と続く。
人生が反転した蛮社の獄以後は、小伝馬町牢屋敷から、隠れ家の麻布薮下、 絶命の地となった青山百人町・組屋敷小島助次郎の借家など長英ゆかりの場所が多くある。
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(愛媛県宇和島市)
高野長英は、嘉永元年(1848)年4月から翌年1月頃までの約1年、宇和島藩主伊達宗城(ダテムネナリ)に匿われ、出羽出身の蘭学者、伊藤瑞渓(イトウズイケイ)として宇和島に潜伏した。
宇和島城の北東400m、市内を流れる辰野川のほとりに長英が暮らした家老桜田佐渡の別邸跡がある。ここで長英は、江戸から従えてきた政次郎、女中のトヨ、下男の新吉、内弟子の二宮逸二と暮らし、土居直三郎、大野昌三郎、斎藤丈蔵などの藩士に蘭学を教えた。
今、この場所は宇和島市指定「高野長英居住地」として保存され、後藤新平揮毫の石碑が建てられている。

宇和島湾風景 |

長英の隠れ家 |
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(愛媛県
西予市宇和町)
愛媛県宇和島市の北西に位置する西予市宇和町卯之町は、「鳴滝塾」で学んだ二宮敬作が、シーボルト事件後に帰国し医業を開いたところである。
シーボルトの娘イネが二宮敬作に医学を学んだ「日本女医発祥の地」としても知られる。
嘉永元年(1848)1月、宇和島を急遽立ち退くことになった長英は、卯之町に敬作を訪ね、旅支度を整えたと言われる。さらに、6月には伴の昌三郎が怪我したために卯之町にもどった。この時、長英が隠れたとされる二宮敬作宅の離れや町並みが保存され、宇和先哲記念館では二宮敬作やイネを紹介展示している。

長英の隠れ家 二宮敬作の居宅裏の離れ |

二宮敬作宅 |
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