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「ここ何処(どこ)?」「家だよ」部屋を見回し「そうだね、家だね」納得すると安心して母はまたまどろむ̶̶。
最後まで家に居たいという母の願い通り、自宅で看取ることができたのは、老々介護を支えてくれた訪問看護と訪問介護の皆さんのおかげです。
「何かあればいつでも連絡して」その言葉が心強く、安心できました。母が痛みを訴えるたびに何度も来てくれて、明るく力づけ、処置してくれました。さすがプロです。母ばかりか、私も安堵(あんど)の胸をなで下ろすのでした。医師からも、家族が疲弊しないかと気遣っていただきました。そして、迫りくる≪その時≫の覚悟が徐々にできていきました。
目を離せない状況のとき、手作りの食事を届けてくれた友、いつでも駆け付ける態勢の子どもたち、多くの人に助けられての介護でした。遠方の兄も帰省し、母と三人で談笑し、自宅ならではの濃密な時を過ごすことができました。兄と見守る中、静かに息を引き取った母の顔はとても穏かでした。休日にもかかわらず医師も駆け付けてくださいました。
家で看取るなんて大変なこと、私には無理だとストレスを抱えていました。でも訪問看護が始まると、安心と感謝で、残された時間を大切にと思いました。
もっと早く訪問看護の制度を知っていたら、母に余計な不安や我慢をさせずに済んだのに・・・それだけが残念です。でも、「良いお手本を見せてもらった」と母親と暮らす友人の言葉に救われました。