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(5)台湾民政長官時代

印刷用ページを表示する 更新日:2022年7月9日更新
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民政長官時代

 

 【台湾阿片の意見】

  台湾統治における阿片対策について、芳川顕正内務大臣の指示により後藤がまとめた意見書。

 阿片 意見書

 

 【阿片煙膏購買吸食特許鑑札】

  台湾全島の阿片中毒者は、明治33年(1900年)9月時点で約16万人。

  後藤は取引商の猛烈な反対を押し切って専売制をしき、特別な許可証を発行し、中毒者に限って薬品として阿片を供給する漸禁策を押し進めた。

  後藤の政策が功を奏し、昭和4年(1929年)の中毒者数は約2万人にまで激減した。

 阿片特許鑑札

 

 【台北水道給水工事大要】

  台湾を自立した近代国家へ導くため、鉄道・築港・土地調査の三大事業と、阿片・食塩・樟脳の三大専売制を軸として、その他、道路や橋の建設、上下水道等のインフラ整備も進めた。

 台北水道

 

 【新渡戸稲造から後藤新平への手紙】

  明治37年(1904年)5月20日付。

  新渡戸稲造(1862~1933)は、盛岡出身の農業経済学者、教育者。明治34年(1901年)、後藤民政長官に招かれ台湾に赴任。製糖産業を推進した。

  「三年来の後藤の配慮に深謝、台湾赴任を決定した最大の理由も後藤の人となりにあること。・・・」

 新渡戸稲造書簡

 

 

 台湾総督府専売局庁舎と阿片工場(写真)

 専売局庁舎

 工場1 

 工場2

 

  製糖会社社屋と工場(写真)

 製糖 社屋

 製糖 工場