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(8)東京市長時代
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更新日:2022年7月6日更新

【市政について】
大正10(1921年)年
「人の任免に関する方針と所見」
然らば此市政全般を如何にして図るか、一にも金、二にも金、三にも金と昔からよく言ふ話であるが、余は従来より一にも人、二にも人、三にも亦人と主張して居るのである。
【東京市職制分課規定改正要領】
大正10年(1921年) 池田宏助役の改革案および添付された後藤宛ての書簡
市役所内部の連絡統制が悪く、経費の無駄遣いになっていると考えた後藤が、池田助役に改正要領の作成を命じた。
三助役と凝議し、大正10年6月1日から実施された職制の大改革は、市政全般にわたるもので、これによって東京市役所は一新した。
【市長就任の決意】
大正11年(1922年)5月17日 後藤新平自筆のメモ
一生ニ一度国家ノ大犠牲トナリテ一代貧乏籤ヲ引イテ見タイモノ。東京市長ハ此兼テノ思望ヲ達スル一端ニ非ザルカ。
東京市ハ帝国ノ縮図ニシテ今ヤ一大国難ノ時機ニ遭遇セリ。
コノ自治ノ危機タル盤根錯節ヲ処理スルコトハ我ガ帝国ノ立憲生活ニ資スル所以ニシテ、従来至難ノ事業トシテ之ニ充ルヲ避クルノ色アルハ、各有力者ノ為メ窃カニ怪シムトコロニシテ、余ガ平生ノ所信ヲ試ムベキ地ヲ余シテ与ヘラルル神意ニ非ザルナキカ。