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(9)震災復興

印刷用ページを表示する 更新日:2022年7月5日更新
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復興計画を練る後藤

 

【帝都復興院総裁辞令】

  大正12(1923)年9月29日

  復興院総裁 辞令 

  関東大震災発生の翌日9月2日に山本権兵衛内閣の内務大臣に就いた後藤は、同月に臨時官庁として設けられた帝都復興院の総裁を兼務した。 

 

【後藤新平自筆メモ】

  震災当日9月1日と9月2日の記述。混乱のせいか、時刻にずれがある。

  手記 震災当日

  九月一日正午零時十分ヨリ大震数回次テ百有餘回ニ及ブ火災之ニ次キ夜ヲ徹シテ暁ニ及テ止マズ延テ炎々天ヲ焼ク全都交通機関絶ツ

  九月二日午後六時半 親任式 昨夜水交社炎焼山本伯ノ根墟地ヲ失フ午後伯ノ住所分明ナラス一蔵ヲシテ之ヲ探セシム財部邸ニ在リ之ヲ訪ヒ大命ヲ拝シ荏苒時ヲ移スノ不可ナルコトヲ説キ速カニ去就ヲ決セラ

  ※水交社…海軍の奏任官以上の共済団体

  ※財部…財部彪(たからべ たけし)海軍大将

  ※荏苒(じんぜん)…なすことがにまま歳月が過ぎ去っていく様子

 

【帝都復興概念図】

  大正末期

  概念図

  この図の来歴等詳細は不明だが、同心円、放射線状の街路や都市の拠点など、震災前に東京市の技師らによって検討された都市計画の影響がみてとれる。