胆沢城跡

【胆沢城跡全景】
【胆沢城跡歴史公園全景】
胆沢城は、延暦21(802)年に坂上田村麻呂が造営した平安時代の城柵(国が地方に造った政治と軍事の拠点となる役所)跡です。大同3(808)年までに陸奥国府である多賀城から軍政を司る「鎮守府」が遷され、10世紀後半頃まで鎮守府胆沢城として機能しました。
胆沢城は、1辺約670メートルの方形で、周囲に土を固めて作った築地をめぐらせていました。築地の内には儀式を執り行う政庁のほか、食料を供給する官衙などが建てられていました。
大正11年10月に国指定史跡に指定され、その後昭和29年から岩手大学などによる発掘調査が始められ、木簡や文字が記された土器のほか、暦や城に勤務した兵士についての漆紙文書などが発見されています。
胆沢城の正門のある外郭南門地区を「胆沢城跡歴史公園」として整備し、令和元年6月末に開園しました。
所在地 |
奥州市水沢佐倉河八幡地区 |
---|---|
アクセス |
(位置図参照) |
その他 |
出土遺物等の見学は奥州市埋蔵文化財調査センター2階展示室へ |
この記事に関するお問い合わせ先
- みなさまのご意見をお聞かせください
-
更新日:2024年05月20日