旧岩谷堂共立病院

写真:鐘の鳴る丘のモチーフになった旧岩谷堂共立病院
旧岩谷堂共立病院は、明治8年1月に岩手県初(当時は水沢県)の西洋医学における総合病院として開院しました。院長は旧白河藩士で江戸で蘭学を学んだ横田信行を迎え、一般医療と共に郡内漢方医師再教育の医学所でもありました。
開院の前年、明治7年7月に竣工したこの建物は、地元の大工棟梁及川東助の手によるもので、楼閣様式をもって擬洋風病院施設に応えようとした設立関係者の創意と、それを具現化した地元棟梁の堅実な技法がうかがえます。経営難により、明治11年には病院としての役割を終えていますが、閉院後は磐井治安裁判所岩谷堂支所及び登記所、岩谷堂尋常小学校の仮校舎、岩谷堂町役場、江刺町役場、江刺市役所など公共建築としての役割を担って今日まで存続してきました。
昭和54年2月には、明治初期における新しい西洋医学に対応した病院建築の様式を伝えるものとして岩手県の有形文化財に指定され、保存修理工事が行われた昭和57年以降は、明治記念館として活用されていましたが、歴史的建造物として適切に管理・公開するため、平成26年4月から「岩手県指定有形文化財 旧岩谷堂共立病院」として公開しています。
この建物は、戦後のラジオドラマ菊田一夫原作「鐘の鳴る丘」のモチーフなったとも言われ、4階の塔屋からは菊田が疎開で身を寄せた及政旅館を望むことができます。
定休日 |
火曜日(祝日の場合翌日)、冬期間(11月16日~3月19日) |
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公開時間 |
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所在地 | 奥州市江刺南町4-8 |
アクセス | JR水沢江刺駅から車で10分 |
料金 | 無料 |
問い合わせ |
旧岩谷堂共立病院 電話番号0197-35-7830 |
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更新日:2024年05月20日