父・斎藤實
父・斎藤實(養嗣子・斉氏談)
内憂外患の政局を担った、時の総理大臣・斎藤實も、ひとたび公務を離れれば、やさしい夫であり、好々爺でもあるよき家庭人だった。
水沢・吉小路に生を受け、胆沢県庁の給仕から身を起こした少年の頃より、仕事には常に全力を傾け、周囲の人には上下の隔てなく温かい情愛を持って接するという姿勢は、彼の生涯を通して変わることがなかった。
以下は養嗣子・斉氏の語る父・斎藤實像である。(昭和8年)
決して怒らぬ父
父に叱られた記憶など一度もない。今度こそさすがの父も怒ってはいまいかと思うような場合でも、偶然居間にいる父を見かけると、巻紙を広げてしきりに筆を動かしている。のぞいてみると修養になる文句を次から次へと書いている。つまり父は嫌に感じることがあっても、すぐにそれを自分の修養の資にしてしまうのである。
何事も我が身に引き比べる
父はいろいろと苦労をして来たので、何事も自分の身に引き比べて、実によく他人の世話をする。少年の頃、郷里にいて勉強しようと思っても十分なことができず、上京して様々な困難と戦わねばならなかったのを考えてかねてから郷里水沢町の子供達だけにでもそうした心持を抱かせまいと、昨年の夏(昭和7年)宿望であった文庫の完成をみてホッとしていることと思う。
自分のことは自分でする
自分の贅沢などは決してしない。また、自分のことはできるだけ自分でする人だ。頼まれた揮毫ができあがれば、自分で小包にして紐をかけ、上書きをして書生なり手伝いなりを呼んで郵便局へ持っていかせる。
忙しい日常生活
父は毎朝5時から5時半、早い時は4時頃起きて、裸体で自己流の室内体操をやる。その後入浴、新聞、書類に目を通し、着替え、朝食を済ませ出勤する。就寝は早いときは10時~11時過ぎ、遅いときは12時である。壮健だとは言っても老齢でもあり、僕らとしてはどんなことをしても早く休んで十分な休養をとりエネルギーを蓄えてもらいたい。
父と母
母は旧式といえば旧式だが、周囲の者も心を打たれる程、自己の一切を捨てて父にかしずいている。
母は父の大きさ、偉さを最もよく知っているのである。
父の精神
多難な道を歩いて来ながら父が今日となったのは、恐らく祖父から受けた極めて厳格な精神的な漢学教育がその基礎となっているのであろう。今日の物質偏重に過ぎる世間の有り様を見るにつけても、僕は古典のもたらした精神的な偉大さをしみじみと父に感じるのである。
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更新日:2023年09月29日