斎藤實ってどんな人?
衣類はすべて夫人まかせで、冬でも暑がりだった。大変な汗かきで一日に2度、カラーをとりかえた。ある夏、絽の袴と紗の羽織が出来たとき、「おまえが拵えてくれたもので、これが一番いいネ。」とうれしそうに言ったことがあった。
好物
好物は、豆腐のみそ汁、ほや、鹿児島の地酒をつかった夫人特製の寿司、冷素麺などで好き嫌いはなかった。特に冷素麺は一夏中食べ続けてついに腹を壊したほどだった。
若い時は一日に5升も飲んだことがあるという海軍きっての酒豪で鳴らした彼も、晩年は禁酒し、お汁粉など甘い物も好んだ。
斎藤實が平常愛用したお銚子は、海軍時代宮原機関中将より二個贈られたもの。
贈るについては同中将より「この銚子二本以上飲まないように」との申し添えがあったという。
趣味:読書・揮毫・庭いじり
揮毫
人から頼まれれば断れなかったので、いつも約束を果たすのに追われていた。四谷の私邸には揮毫専用の机もあり、週末静養の葉山別邸では、右肩に襷をかけた實と、渋ウチワとタオルを持って傍らにつきそい、實の滴る汗を拭いている夫人の姿がよく見られたという。
庭いじり
草むしり、植木いじりは、組閣の忙しい最中でも一寸の暇を見つけては庭におり、鋏でチョキチョキやっていた。一宮別邸では古洋服を着て草履を履き、手ぬぐいを腰にぶら下げ、松の枝おろしや垣根直しなどをしていた。
健康
若い時は一週間寝なくても平気な程、いたって壮健だった。
明治41年(51歳、夏)、海軍大臣として台湾視察の帰りの船中、左足の踵が痛みだしたのが、リューマチの始まりだった。台湾で氷柱と扇風機の接待を受け冷えたためと言われている。晩年に至るまで季節の変わり目毎に痛み、特に入梅時分と極寒の時節がひどかった。
大正元年11月(55歳)、将官会議の席上腎臓結石の痛みを経験する。その後朝鮮総督時代、昭和2年のジュネーブ会議においても発作が起きた。以後、ワイン、ビール、牛肉は禁止となった。
体格
身長 | 5尺5寸(167センチメートル) |
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体重 | 20貫(75キログラム) |
足袋 | 10文(24センチメートル) |
首回り | 44.5センチメートル |
血液型 | A型 |
© 2002 斎藤實記念館
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更新日:2023年09月29日