旧内田家住宅

更新日:2023年09月29日

ページID: 1726

 内田家初代は留守政景(伊達政宗の叔父)に召しかかえられ、足軽奉行を勤めたと伝わります。弘化4(1847)年「水沢惣土御知行高調」によると家禄は家老の余目家129石51升に次ぐ96石2升、慶応2(1866)年「水沢家中家並覚牒」では大番役・内田勘之丞屋敷とあり、二番座召出(注釈)の上級家臣であったことがわかります。また、内田家伝来の家系図から、後藤新平〔別窓リンク:新平記念館〕の実家・後藤家より内田家へ3人の養子があったことも判明しています。
 屋敷は茅葺きの薬医門を表門とし、同じく茅葺きの主屋のほか、板塀と塀重門(へいじゅうもん)、井戸、表庭、裏庭が残されています。平成2(1990)年に復元された主屋(175.62平方メートル)の建築年代は不明ですが、嘉永6(1853)年に修理を行った際の棟札が残されていることから、19世紀初め頃と考えられます。式台のある整形田の字型4間取りで延床面積は175.62平方メートル、主屋は桁行7間、梁間4間半(復元)です。

(注釈)召出…正月の宴会に召し出される資格のある家柄。二番座は正月二日の儀式に出ることが許されている家格。

奥州市指定有形文化財(指定:平成2(1990)年3月31日)

庭に石の通路がありその両脇に木々があり奥には玄関がある旧内田家住宅入口の写真

旧内田家住宅(玄関の間外観)

床の間に掛け軸があり、右側の窓が開けられ太陽光が入ってきている上座敷の部屋の写真

旧内田家住宅(上座敷)

間取り図

旧内田家住宅間取り図

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