くくり雛

更新日:2023年09月29日

ページID: 1388

 羽子板等に用いられる、綿などを詰め立体的に表現された人形は奈良時代に伝来し、「押し絵」「串人形」「浮き絵」と呼ばれます。水沢地方では綿を布でくるむことを「くくる」といったため『くくり雛』と呼称されるようになりました。寛政年間(1789~1801年)出版の『押し絵型』によって型紙や製法が一般に普及し、文久2年銘の人形が現存することから、江戸時代末期には水沢地方に製作技法が導入されていたことが分かっています。

 ひな人形は穢れを祓う形代である流し雛が原型とされ、立雛や享保雛、古今雛、芥子雛など時代の流行と共に形を変え、桃の節句の飾り物として定着しました。くくり雛には、雛段に飾り眺めるものであったひな人形に対し、手に取って見られるという身近さ、平板なつくりであるため収納や保管に便利である、といった特徴があります。明治時代初期に地元の絵師・砂金竹香(いさごちっこう)が商家の子女たちにくくり雛の製作手法を教授し、その技法は手習いの師匠から子女へ、親から娘へと伝えられ、桃の節句のひと月前から製作されたくくり雛は明治時代中期~昭和初期まで多くの家で飾られていました。くくり雛の題材は内裏雛のほか、歴史上の人物や史実もの、歌舞伎浄瑠璃の役者たち、縁起物やおとぎ話の登場人物、浮世絵、世俗風景など多岐にわたります。

 現在はくくり雛保存会などによって製作が続けられ、伝統技法が受け継がれています。

左:型紙に従って切り取った厚紙に錦を置いてくるみ、半立体的に組み合わせて形づくった女性のくくり雛、右:裏に文字が書かれている女性のくくり雛の写真

裏面に『文久2(1862)年』の墨書があるくくり雛

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