水沢伊達氏の歴史

更新日:2023年09月29日

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 平泉の奥州藤原氏が滅んだあと、源頼朝により陸奥国留守職を任命された伊沢左近将監家景(二代 家元以降は職名の留守を号す)を祖とする留守家が水沢近辺を治めていました。留守家は鎌倉時代中期まで勢いを得た名族でしたが、南北朝の頃から勢力が衰えはじめ、中世末期には伊達氏からの入嗣が相次ぎ、やがて伊達家の一門となりました。

 継嗣のない留守顕宗の養子となった伊達宗家17代 政宗の叔父 留守政景は、政宗側近の謀将として出陣した朝鮮の役での功労により、政宗から第一号の伊達氏を賜ります。留守系伊達氏はその後水沢伊達氏となり、伊達傘下御一門三席として北辺の守りである一関にまちを開きました。

 その跡を継いだ宗利(1590年-1638年)は、一関、移封先の金ヶ崎、そして1629 (寛永6)年8月に移った水沢と、それぞれのまちの基礎作りと整備に尽力し、水沢城(臥牛城)へ落ち着いたあとは幕末の12代 邦寧に至るまでの240年間、水沢を治めました。現在水沢城があった一帯は市役所や合同庁舎、住宅地などに変わっていますが、城の周囲に植えられていたうちのひとつとされる、市役所前にそびえる姥杉が往時の姿を今に伝えています。

左側に茶色の建物があり、青空の下、大きな巨木の姥杉を下から撮影した写真

市役所前の姥杉(2021年12月15日撮影)

留守姓水沢伊達氏歴代生没在任年一覧

始祖 政景<1549(天文18)年-1607 (慶長12)年2月3日>

  •  [高森城]1567(永禄10)年~1591(天正19)年
  •  [黄海城]1591(天正19)年~1593(元禄元)年
  •  [清水城]1593(文禄2)年~1604(慶長9)年
  •  [一ノ関城]1604(慶長9)年~1607(慶長12)年

初代 宗利<1590 (天正18)年-1638 (寛永15)年8月15日>

  •  [一ノ関城]1607(慶長12)年~1615(元和元)年
  •  [金ヶ崎城]1615(元和元)年~1629(寛永6)年
  •  [水沢城]1629(寛永6)年~1638(寛永15)年

二代 宗直<1626 (寛永3)年-1663 (寛文3)年5月3日>

 [水沢城]寛永15 (1638)年~寛文3 (1663)年

三代 宗景<1650 (慶安3)年12月7日-1675 (延宝3)年3月14日>

 [水沢城]1663(寛文3)年~1675(延宝3)年

四代 村任<1661 (寛文元)年8月25日-1722 (享保7)年6月29日>

 [水沢城]1675(延宝3)年~1695(元禄8)年

五代 村景<1690 (元禄3)年10月21日-1753 (宝暦3)年1月27日>

 [水沢城]1695(元禄8)年~1753(宝暦3)年

六代 村利<1731 (享保16)年-1756 (宝暦6)年6月25日>

 [水沢城]1753(宝暦3)年~1756(宝暦6)年

七代 村儀<1754 (宝暦4)年3月-1778 (安永7)年5月20日>

 [水沢城]1756(宝暦6)年~1778(安永7)年

八代 村善<1772 (明和9)年10月23日-1787 (天明7)年11月20日>

 [水沢城]1778(安永7)年~1787(天明7)年

九代 村福<1775 (安永4)年2月22日-1830(文政13)年9月18日>

 [水沢城]1787(天明7)年~1830(文政13)年

十代 宗衡<1799 (寛政11)年9月21日-1866 (慶応2)年正月8日>

 [水沢城]1820(文政3)年~1856(安政3)年

十一代 邦命<1826 (文政9)年8月1日-1865 (慶応元)年8月8日>

 [水沢城]1856(安政3)年~1865(慶応元)年

十二代 邦寧<1831 (文政13)年3月15日-1874 (明治7)年11月22日>

 [水沢城]1865(慶応元)年~1869(明治2)年

十三代 基治<1823 (安政6)年10月20日-1881 (明治14)年8月30日>

 [水沢城]1874(明治7)年~1881(明治14)年

十四代 景福<1871 (明治4)年2月10日-1936 (昭和11)年8月13日>

 [水沢城]1881(明治14)年~

十五代 邦太郎<1898 (明治31)年8月21日-1934 (昭和9)年3月6日>

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岩手県奥州市水沢字吉小路43
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