(5)台湾民政長官時代
台湾阿片の意見
台湾統治における阿片対策について、芳川顕正内務大臣の指示により後藤がまとめた意見書。
阿片煙膏購買吸食特許鑑札
台湾全島の阿片中毒者は、明治33年(1900年)9月時点で約16万人。
後藤は取引商の猛烈な反対を押し切って専売制をしき、特別な許可証を発行し、中毒者に限って薬品として阿片を供給する漸禁策を押し進めた。
後藤の政策が功を奏し、昭和4年(1929年)の中毒者数は約2万人にまで激減した。
台北水道給水工事大要
台湾を自立した近代国家へ導くため、鉄道・築港・土地調査の三大事業と、阿片・食塩・樟脳の三大専売制を軸として、その他、道路や橋の建設、上下水道等のインフラ整備も進めた。
新渡戸稲造から後藤新平への手紙
明治37年(1904年)5月20日付。
新渡戸稲造(1862~1933年)は、盛岡出身の農業経済学者、教育者。明治34年(1901年)、後藤民政長官に招かれ台湾に赴任。製糖産業を推進した。
「三年来の後藤の配慮に深謝、台湾赴任を決定した最大の理由も後藤の人となりにあること。…」
台湾総督府専売局庁舎と阿片工場(写真)
製糖会社社屋と工場(写真)
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更新日:2023年09月29日