(5)台湾民政長官時代

更新日:2023年09月29日

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民政長官時代の後藤 新平氏が右を向いている横顔の写真

台湾阿片の意見

 台湾統治における阿片対策について、芳川顕正内務大臣の指示により後藤がまとめた意見書。

白い原稿用紙にまとめられた意見書の写真

阿片煙膏購買吸食特許鑑札

 台湾全島の阿片中毒者は、明治33年(1900年)9月時点で約16万人。

 後藤は取引商の猛烈な反対を押し切って専売制をしき、特別な許可証を発行し、中毒者に限って薬品として阿片を供給する漸禁策を押し進めた。

 後藤の政策が功を奏し、昭和4年(1929年)の中毒者数は約2万人にまで激減した。

「阿片煙膏購買吸食特許鑑札」と中央にかかれ、朱印が押されている鑑札と上下に文字が書かれており、中央部分が四角でかこまれ空白になっている2枚の鑑札の写真

台北水道給水工事大要

 台湾を自立した近代国家へ導くため、鉄道・築港・土地調査の三大事業と、阿片・食塩・樟脳の三大専売制を軸として、その他、道路や橋の建設、上下水道等のインフラ整備も進めた。

古い地図が広げられた 台北水道の地図の写真

新渡戸稲造から後藤新平への手紙

 明治37年(1904年)5月20日付。

 新渡戸稲造(1862~1933年)は、盛岡出身の農業経済学者、教育者。明治34年(1901年)、後藤民政長官に招かれ台湾に赴任。製糖産業を推進した。

 「三年来の後藤の配慮に深謝、台湾赴任を決定した最大の理由も後藤の人となりにあること。…」

横長の白い紙に漢字とかな文字が墨で書かれた手紙の写真

台湾総督府専売局庁舎と阿片工場(写真)

ルネッサンス調のれんが建築の洋館で中央部分が高く棟のようになっている台湾総督府専売局庁舎の白黒写真
工場内には建物の骨組みとパイプでつながった楕円形の形をした機械が沢山置かれ、人々がそれぞれの持ち場で作業をしている阿片工場内の白黒写真
工場内の後方に大きな機械が置かれ、手前の机に座った人々が作業をしている工場内の白黒写真

製糖会社社屋と工場(写真)

2階建ての建物で、長方形の窓が上下に並んでいる製糖会社社屋の白黒写真
天井に木の柱が横に並んでおり、工場内には大きな車輪のような機械が置かれている工場内の白黒写真

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