(11)晩年

更新日:2024年01月04日

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三つ揃えのスーツにネクタイを締め、丸メガネをつけた、短髪に白髪の口髭と顎髭を生やした晩年の後藤新平が、テーブルに手をついて立ち、斜め前方を向いているモノクロ写真

 大正13(1924)年  東京放送局初代総裁就任

仮放送開始の挨拶原稿(草案)

 大正14(1925)年3月22日

枠外に太字で「大正十四年三月二十二日仮放送開始放送」と書かれ、びっしりと内容が書き込まれた青い枠線の原稿用紙の写真

 日本で初めて正式に許可された放送の電波は、東京市芝区新芝町(現在の港区)の府立東京高等工藝学校の図書室から送り出された。この日から愛宕山で本放送を始める7月12日の前日まで112日間の放送は、施設が間に合わせ・「仮」であるということから仮放送と呼ばれた。

本放送開始挨拶(原稿)

 大正14(1925)年7月12日

横長の白い紙に漢字とカタカナが毛筆で書かれた文章に赤文字の訂正が入っている、本放送開始あいさつの原稿の写真
「新時代の黎明」と縦書きで書かれた縦長の紙が貼られた壁を背に、演台に立ち手振りを交えながら挨拶をする後藤新平のモノクロ写真

「政治の倫理化」 自筆原稿

紺色の枠線の原稿用紙に漢字と平仮名で書かれた「政治の倫理化」の直筆原稿の写真

 政治の世界から身を引いた新平は、当時の政界腐敗に対して穢れのない政治を目指す「政治の倫理化」運動を開始。大正15(1926)年4月、東京を手始めに全国各地で講演を行い、運動の成果から普選準備会が結成され、会員は25万人も集まった。

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