安場 保和(やすば やすかず 1835-1899年)
新平の非凡な才能を見抜く

肥後(熊本)藩士・安場源右衛門の子として生まれ、青年時代は横井小楠の門下に入り、終生その影響下にありました。
明治2(1869)年、新政府の召出しにより、胆沢県庁の大参事として水沢に赴任しました。新平は安場のもとで学僕となり、後に安場の部下の阿川光裕に預けられました。
福島県令時代には須賀川病院などを設立し、愛知県令になってからは教育事業に力を入れました。新平は須賀川で医学を学び、後に24歳で愛知医学校長兼病院長となるなど、安場に才能を認められ、その期待に応えました。
国家や地方行政に通じていた安場は、政治のあり方について機会あるごとに師・横井小楠の話をして聞かせました。安場は新平の良き指南役、相談役でもあったのです。
明治16(1883)年、次女・和子を、当時内務省衛生局勤務であった新平に嫁がせ岳父となりました。新平は何か判断に迷うことがあると安場に相談したり議論したりして課題に対処しました。
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更新日:2023年09月29日