武下 節山(たけした せつざん 1822-1889年)
漢学・詩文の師
武下節山は、代々留守家に仕えた家柄の出で儒学者。幼い頃から学問を好み、堀籠膽水に学び頭角を現しました。後に立生館の教授に挙げられ、家塾も開いていました。
新平の祖父實仁は、利かん気の腕白であった新平を父の手元で育てるよりも他家にやって薫陶を受けさせたほうが良いと考え、当時藩中の尊敬を集めていた武下節山の家塾に学ばせました。「温容寛厚、人と争わず」と言われた節山ですが、腕白な新平には大分困ったようです。
新平は節山を「師厳かにして、然る後尊し」を守り行わんとする人として尊敬していました。節山の、少しでも疑問があるとそのままにしておかないという学問に対する真摯な態度は、常に子弟の尊敬を集め、また、「学は徳を成し、用を成すことにありて、学術の浅深にあらず、各々適するところにあり」という信念で教育にあたりました。
門下からは後藤新平、山崎為徳、箕作省吾、吉川鉄之助など多くの逸材を世に送り出しています。
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更新日:2023年09月29日