斎藤 實(さいとう まこと 1858-1936年)
「自力更生」を説く政治家

水沢に生まれた斎藤實は、幼い頃の名前を富五郎といい、志を抱いて上京するまで吉小路の生家で育ちました。
少年時代から、後藤新平、山崎為徳らと共に水沢の三秀才といわれるほどの勉強家でした。
富五郎は寺子屋で漢字ばかりで書かれた中国の道徳を説いた本、大学・中庸・論語・孟子・礼記など、10歳でみな読み終えたほどでした。
15歳の春に上京し、働きながら勉強をして、翌年海軍の学校へ入学しました。在学中の勉強ぶりも真面目そのもので、6年後に優秀な成績で卒業しました。
27歳の時、選ばれてアメリカに4年間留学、この間にアメリカやヨーロッパの情勢を学んで帰国しました。41歳で海軍次官に抜擢され、以後軍政家の道を歩むことになり、日露戦争後49歳の時から8年余り海軍大臣を務めました。
62歳の時、原敬内閣から任命されて朝鮮総督に就任しました。赴任時、京城(現在のソウル)駅前で暗殺を狙い爆弾を投げられるなど険悪な民族感情の時でした。斎藤實は10年余りの在任中、いつも温容に人々に接して民生の安定に努めました。
5・15事件の後、75歳で内閣総理大臣となり、「自力更生」をモットーに2年余り難局打開に献身しました。
斎藤實は大正デモクラシーや国際協調の精神を大切にしました。当時勢い付いたファシズムや軍国主義の防波堤・ブレーキの役目を果たそうと努めましたが、食い止めることはできませんでした。昭和11年に起こった2・26事件の凶弾に倒れ、79歳で生涯を閉じました。当時内大臣を務めていました。
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更新日:2023年09月29日