ビーアド(Charles Austin Beard 1874-1948年)

更新日:2023年09月29日

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20世紀前半の知の巨人

コートを羽織ったアメリカの政治外交史学者ビーアドの白黒写真

 ビーアドはアメリカの政治外交史学者で、徹底した科学的調査を重んじた学者でした。コロンビア大学の教授を務めていましたが、偏狭なアメリカ主義を鼓吹する総長と対立してニューヨーク市政調査会専務理事に転じました。20世紀前半のアメリカの政治学と歴史学に大きな影響を及ぼした人物の一人でもあります。

 科学的知識の基礎の上に自治政を打ち立てるために市政調査会の設立をみた後藤は、その助言を仰ぐためにビーアドを招請しました。「東京市政に関する意見概要」として、市政調査会の活動に対する助言をまとめました。

 ビーアドは大正11年9月からおよそ6ヶ月間日本に滞在しました。後藤は一段とビーアドに敬意を持ちましたが、ビーアドも「行くところ、閣下の天才を発見せざるはなく、実に閣下の将来に対するご計画は誠に広大にして…(略)」と後藤を称賛しました。ビーアドの言葉は決して一時の儀礼的な発言ではありませんでした。

 ビーアドが帰国して半年ほどして関東大震災が発生しました。

 後藤は内務大臣の親任後、女婿の鶴見祐輔に「ニューヨークのビーアドに電報を打ってすぐ来るように言ってくれ」と命じました。後藤は部屋にこもって新都市計画を立てましたが、ビーアドも「新街路を決定せよ。街路決定前の建築を禁止せよ。鉄道の駅を統一せよ。」と、後藤宛てに電報を打ってきました。後藤は自分が描いていた計画と同じような内容に、我が意を得たり、と思いました。

 しかし、東京の震災復興計画は必ずしも後藤の思い通りにはいきませんでした。それでも、日比谷通り、昭和通り、晴海通り、隅田、錦糸、浜町の各公園は現在でも残っており、東京中心部の骨格となっています。

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