夢物語 7

更新日:2023年09月29日

ページID: 1514
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餘支那通用ノ者モ相撰ミ正使副使ノ船各一艘兵船案内船一艘都合四
艘ニテ本国ヨリ乗出シ其序日本朝鮮ヘモ交ヲ結度国王ノ書簡ヲ
相遣候由右ニテ廣東交易ノ儀宜シク相成候ヤヤ近来ニテハ廣東
ニ有之候西洋諸国ノ商館ノ内イキリス尤大ニ相聞ヘ申候甲ノ人
又問テ曰モリソント申者ハ名ノミ聞ヘ候者ニ御座候ヤ承度候乙ノ人
曰随分聞及候モノニ御座候右ハ元来イギリスニテ碩学宏才ノ者ニ
付彼国ノ学校ニ撰マレ俸五六千石ニ当ル程ノ者ニ候所イキリスノ支
那ニ嫌忌卑蔑セラルゝヲ歎キ右ハ全ク言語文字相通シ不申故ノ儀
ト存シ右相通候様ニ仕度存意ニテ廿余年前ヨリ廣東ヘ態々罷
越遊学仕既ニ五車韻府抔モイキリス語ニ譯致シ開板仕漢字

そのほかシナ語の通訳までも選んで、正使・副使の乗船が各一艘、それに兵糧船・案内船を加えて、つごう四艘で本国を出発しました。なおそのついでに日本と朝鮮とも交わりを結ぼうとして、国王の書簡を添えて派遣したという噂を聞いております。この使節派遣のおかげで広東交易の事情が好転したのでしょうか。広東にある西洋諸国の商館中、イギリスの商館が最も大きいと聞いております。」
甲の人がまた質問した。
「モリソンと申す者は、著名な人物なのでしょうか。お聞かせ下さい。」
乙の人が答えて言った。
「ずいぶん名の知れている人物です。彼は、はじめイギリス本国にいたころ、学識才能が優れていたので、本国の学校の教授に抜擢されており、日本流に換算すると、俸禄が、五、六千石にあたるほどの給与を得ておりました。ところがイギリスが、シナで嫌われ、ないがしろにされていることを知って、残念に思い、それはきっと言語・文字に通ぜぬためだと考えて、シナ語の研究のため、二十年あまり前に、広東にわざわざ遊学したのです。今では、彼はすでに「五車韻府」などの辞書を翻訳

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