6.蛮社の獄

更新日:2023年09月29日

ページID: 1467

36才 1836(天保10)年

1838年、長英は外国情勢への対応を述べた「夢物語」を書いた。これが幕府批判の罪に問われ、長英は、渡辺崋山などとともに捕らえられた。世にいう「蛮社の獄」である。

赤の背景に描かれた、高野長英が、腕を組んで目を閉じ、江戸湾に現れた外国船の対応を議論する幕府の役人のことを考えている様子のイラスト

天保10(1839)年、目付の鳥居燿蔵(とりいようぞう)の告発により渡辺崋山、高野長英、小関三英(こせきさんえい)など蘭学研究者の弾圧事件が起こる。この事件で、渡辺崋山は国元蟄居(くにもとちっきょ)、高野長英は永牢(無期懲役)となった。時代をリードする蘭学者として再出発した長英の人生は、獄中生活、逃亡、そして自害と一転する。世に言う「蛮社の獄」である。

事件のきっかけは、天保8(1837)年6月、江戸湾に現れたアメリカ商船モリソン号にあった。この外国船来航に浦賀奉行は砲撃を加え追い払う。異国船打払令によってとられた処置で、もちろんのこと、船の国籍も来航理由も確認されていなかった。
翌年になって、長崎に着いたオランダ船からこのモリソン号来航に関わる情報が幕府に提出された。アメリカ商船をなぜかイギリス船と伝えているが、日本の鎖国政策を脅かす「漂流民の護送を理由にイギリス船が直接来航する。」という内容であった。幕府は、議論の末、打払いを決定し、世間の話題となった。特に、蘭学者や外国事情に詳しい人々の間には、憂慮する声があがった。渡辺崋山は「慎機論」でその考えをまとめようとしたが、完成せず、長英の「夢物語」が知れ渡った。

諸外国の海外進出と植民地化の状況を把握していた長英は、モリソン号に対する幕府の打払い方針が災いをもたらすことを憂慮していた。長英は、この「夢物語」の中で、「イギリスの国勢と海外進出を詳細に説明した上で、イギリスの申し出は一度聞き、交易については鎖国の規定によって断ればよい、そうすれば日本の仁義の名を失わずイギリスもどうしようもない」と語る。

鎖国政策を問題にする渡辺崋山の急進的な考えに対し、長英は蘭学研究で培われた実証主義的な考えを述べている。つまり、海外情報の正確な把握の重要性と国際法的な漂流民の取扱いを主張し、通商要求には法をもって拒絶するという現実的な提言であった。したがって、長英は、この「夢物語」が罪となるとは夢にも思っていなかった。

蛮社の獄の原因は、実は、儒学者の蘭学の隆盛への妬みと外国船来航に対する幕府内の権力争いがあったといわれる。特に、儒学を代表する大学頭(だいがくのかみ)の林述斎(はやしじゅっさい)の次男で、目付の鳥居燿蔵の暗躍が指摘されている。

モリソン号の打払いを決定した幕府は、江戸湾の防備を強化するため、鳥居耀蔵と江川坦庵に伊豆半島の浦賀海岸の巡見を命じた。鳥居は、最近巷に流れ始めてきた蘭学は、いずれ日本を荒廃へ導くに違いないと、よい感情を持っていなかった。一方、江川は、海防強化のために早くから外国事情や砲術を学んでおり、天保8年頃から渡辺崋山に師事していた。江川はこの巡見の詳しい復命書を作成するにあたり、崋山に助言を求め、さらに復命書に添付する予定の「外国事情書」の執筆を崋山に依頼した。

長英は、「蛮社遭厄小記」の中で、鳥居燿蔵の蘭学者攻撃を伝えている。しかし、無人島渡航計画を渡辺崋山や高野長英などの蘭学関係者がそそのかしたという鳥居の部下である小笠原貢蔵の讒言をもとに、蘭学関係者弾圧のための事件が捏造され、天保10(1839)年5月、ついに蛮社の獄がおこった。長英と崋山は「夢物語、鴃舌小記(げきぜつしょうき)等の如き無用の妖説を書き著して朝儀を誹謗し人心をたぶらかす」と罪に問われた。

この事件について、「蛮社の獄の原因は長英のあずかり知らぬところにあった。」とする考えが紹介されている(佐藤昌介著『高野長英』)。鳥居の目的は江川と崋山が進めていた「江戸湾防備改革案」の上奏を阻止することにあったが、長英の「鳥の鳴音」や「蛮社遭厄小記」には、この改革案のことが一言も見えない。つまり、長英は江戸湾防備改革案について知らなかったのである。

このことが事実とすれば、田原藩の政治にかかわる崋山と蘭学者長英の違いを指摘することになる。つまり、崋山の蘭学研究は政治上の必要からでたもので、西洋事情の翻訳ブレーンとして長英と親交をもっていたが、今回の政策提案に長英を参加させてはいなかったのである。

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