高野長英書状(宛名欠) (文政6(1823)年12月)

長英が数え21歳のとき、郷里に宛てて書いた手紙。前年暮れ、水沢に養父玄斎の病気見舞いに帰ったが、玄斎は面会を許さなかったので、数日滞在して江戸へ引き返した。着府後、赤坂に一戸を構えて医業を始めたが、大火事で類焼したこと、彗星が出現したことなどをつたえている。
重要文化財
この記事に関するお問い合わせ先
- みなさまのご意見をお聞かせください
-
長英が数え21歳のとき、郷里に宛てて書いた手紙。前年暮れ、水沢に養父玄斎の病気見舞いに帰ったが、玄斎は面会を許さなかったので、数日滞在して江戸へ引き返した。着府後、赤坂に一戸を構えて医業を始めたが、大火事で類焼したこと、彗星が出現したことなどをつたえている。
重要文化財
更新日:2023年09月29日