高野長英書状(茂木左馬之助宛) (文政3(1820)年)6月11日

更新日:2023年09月29日

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横長の紙に筆で書かれた文字がびっしりと並んだ高野長英書状(茂木左馬之助宛)1
横長の紙に筆で書かれた文字がびっしりと並んだ高野長英書状(茂木左馬之助宛)2
横長の紙に筆で書かれた文字がびっしりと並んだ高野長英書状(茂木左馬之助宛)3
横長の紙に筆で書かれた文字がびっしりと並んだ高野長英書状(茂木左馬之助宛)4

この手紙は、長英が数え17歳で、勉学を志し、江戸に行って間もなく、江戸についてから杉田伯元の塾で学びはじめるまでの経過を叔父茂木左馬之助に宛てて書いた手紙である。沢山の紹介状を持参したが、いずれも役に立たず、宿所や勉強する所が定まるまで、散々苦労した様子を細かに述べている。
江戸には実兄湛斎、いとこの遠藤養林と3人で行った。江戸に着いた晩は、水沢出身の薬師商神崎屋に宿を取り、遠藤養林と長英は、1ヶ月分の食費をだして戸田建策のもとに落ち着いた。兄の湛斎は持参した紹介状が用をなさず、最終的に浅草材木町の医師川村右仲のもとに勤めた。長英は勉学先を別に求めようとし戸田の怒りにふれ、杉田伯元のもとに寄宿しようとするが断られ、東山興田で学んだ按摩で生活費を稼ぎ、杉田塾に通う。後、川村の好意でここに寄宿し杉田塾で学んだ。

個人蔵

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