高野長英書状(茂木恭一郎宛) (天保14 (1843)年)閏9月24日

更新日:2023年09月29日

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横長の紙に細かい文字でびっしりと文章が書かれた高野長英書状(茂木恭一郎宛)1
横長の紙に細かい文字でびっしりと文章が書かれた高野長英書状(茂木恭一郎宛)2
横長の紙に細かい文字でびっしりと文章が書かれた高野長英書状(茂木恭一郎宛)3

入獄して5年目。長英数え40歳のとき、獄中から前沢の茂木恭一郎に宛てた手紙。
獄中仲間の米吉とその親分の鈴木忠吉がいる仙台では、斎藤三平(南部藩旧臣)や阿部友進の奨めで、丙君(氏名不詳)が仙台藩への身柄引き取りに動いていること、江戸では、加藤宗俊が骨をおっていることを伝えている。また、紀州藩邸の森氏に、放免工作資金をねこばばされたことや、64歳の老母が茂木家に世話なっていることを感謝しながら、一方、自ら積極的に出獄工作を始めていることを伝えている。また、万国地理百巻の翻訳や寄場人足の病人の治療を願い出たりして出獄を千秋の思いで待ち望んでいる様子が書かれている。

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