蛮社遭厄小記

更新日:2023年09月29日

ページID: 1933
見開きのページに漢字とカタカナで文章が記され、ところどころ赤い文字で訂正がされている蛮社遭厄小記の写真

蛮社の獄の顛末について、入獄3年目の天保12(1841)年に長英が獄中で書いたもの。この中で長英は、蘭学の起こりから日本をとりまく現在の情勢までを説明した上で、「夢物語」執筆の経緯と蘭学弾圧を述べ、自らの存在を歴史的に位置づけようとした。蛮社の獄の原因は蘭学を疎む目付鳥居燿蔵の陰謀であり、無実の罪で投獄されたことを嘆き、前沢の従弟茂木恭一郎に宛てて書き送った。

個人蔵

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