ハルマ和解

更新日:2023年09月29日

ページID: 1147
見開きのノートのページに行の枠線が引かれており、各ページ左側にオランダ語、右側にその日本語訳が記されている、ハルマ和解の写真

フランソワ・ハルマの蘭仏辞書から訳述した蘭日辞書である。幕府は、日本語をよく理解しているオランダ・カピタン(和蘭甲必丹)ドーフに命じて、蘭日対訳辞書を作らせた。
ドーフは、長崎和蘭訳司 中山作三郎、良雄権之助など数氏と相談し、ハルマの蘭仏対訳辞書を基準として蘭日対訳辞書を作ることに着手した。
文化7(1810)年10月より始め、文化8年5月にハルマ辞書22冊の訳が成り、文化12(1829)年脱稿した。
稲村三伯(1758年~1811年)の「波留麻和解(はるまわげ)」と同一の原書により、これを『江戸ハルマ』と呼び、ドーフの辞書を『道富ハルマ』又は、『長崎ハルマ』と称した。
稲村三伯の弟子 藤林普山の『訳鍵』は、波留麻和解を簡略化したものである。
これらの辞書は、当時蘭学を志す者には欠くべからざる辞書であった。

当館所蔵のものは、「e」冊(eから始まる単語を掲載)の写本である。

重要文化財

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