処方箋 (天保2(1831)年)10月21日


シーボルト事件で長崎を去った高野長英は、天保2(1831)年に江戸に戻り、麹町貝坂で蘭方医として開業する。さらに、前沢の茂木家から母の美也と弟の慶蔵を呼び寄せ、一緒に暮らした。この処方箋は、長英がこの時代に書いた疱瘡関係の処方箋で、軟膏、散剤の調合と使用法について書かれている。
重要文化財
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シーボルト事件で長崎を去った高野長英は、天保2(1831)年に江戸に戻り、麹町貝坂で蘭方医として開業する。さらに、前沢の茂木家から母の美也と弟の慶蔵を呼び寄せ、一緒に暮らした。この処方箋は、長英がこの時代に書いた疱瘡関係の処方箋で、軟膏、散剤の調合と使用法について書かれている。
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更新日:2023年09月29日