日田

更新日:2023年09月29日

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苔のはえた大きな三角の茅葺屋根の建物が瓦のついた塀や生垣に囲まれており、門の前には白い木の立て看板がある咸宜園の写真

咸宜園全景

塀に囲まれた中に草木が植えられ、建物の障子張りの部屋の外には板張りの濡縁がある咸宜園内庭の写真

咸宜園内庭

日田(大分県日田市)

大分県西部の筑後川上流に位置する日田市は、江戸時代、九州の幕府領を管轄する日田代官所が置かれ、豪商が居住し金融業に活躍したところである。
 この日田に、儒学者の広瀬淡窓(ひろせたんそう)が開いた塾「咸宜園(かんぎえん)」があり、大村益次郎など多くの門人が輩出された。
 シーボルト事件で長崎を後にした長英が、熊本を発って江戸に向かう旅の途中に立ち寄ったとされる。ただ、旅中の診療記録である「客中案証(きゃくちゅうあんしょう」に日田周辺の地名が無く、日田立寄りに懐疑的な意見もある。

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