尾道
尾道(広島県尾道市)
シーボルト事件で長崎を後にした高野長英は、診療や蘭学講義を続けながら文政12年(1829年)の8月、広島に着いた。
広島にしばらく滞在した後、長英は尾道に移る。そして、翌天保元年(1830年)4月9日、郷里水沢から派遣された小野良策に、この尾道で会った。
長英に対し親戚一同から早急な帰郷を促してきたのである。この時、当主不在の高野家は、玄斎が亡くなって3年が過ぎようとし、困惑の度合いを深めていた。
長英は決断を延ばし、5月12日、良策とともに尾道を発ち、大坂を経由し同23日、京都に入った。
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更新日:2023年09月29日