京都
京都(京都府京都市)
京都は高野長英にとって意義深い場所である。この地で高野長英は高野家の家督を放棄し、町医者として蘭学に生きることを決心した。また、京都滞在中に起こった京都大震災では、「泰西地震説」を著し西洋の地震新説を紹介した。
天保元年(1830年)5月23日に京都についた長英は、早速、蘭学塾を開く。しかし思うように門人は集まらず、「学業を以て名を成すには京都は宜しからず」と、江戸を指向する。 こうして長英は、水沢からの使者小野良策に、高野家と決別を告げる手紙(9月24日付け)を託し、10月8日、江戸に向け京都を出発した。
この記事に関するお問い合わせ先
- みなさまのご意見をお聞かせください
-
更新日:2023年09月29日