長崎

更新日:2023年09月29日

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周囲を植木に囲まれたシーボルトの胸より上の部分をかたどった胸像の写真

シーボルト胸像

植え込みの中にたてられた「書斎跡」と書かれた石碑の写真

シーボルト宅跡

長崎(長崎県長崎市)

オランダ商館が出島に置かれた長崎は、江戸時代の蘭学のメッカであった。シーボルトが文政6年(1823年)に来日し「鳴滝塾」が開かれてからは、さらに多くの人々が集まった。高野長英もこの鳴滝塾で、文政8年(1825年)から同11年(1828年)までの3年あまりシーボルトに蘭学と外国情勢を学んだ一人である。
 この長崎留学中の文政10年(1827年)冬から翌春にかけ、長英は採薬のために壱岐、対馬へでかけ、シーボルトの日記では朝鮮に渡ったとも言われる。
 この旅行から平戸に帰った長英に、養父高野玄斎の死が知らされた。同年、シーボルト事件が起こり、長英は長崎を後にした。

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