世界遺産登録候補地 白鳥舘遺跡

更新日:2023年12月28日

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田畑や民家が点在する中央にS字カーブの広い川が流れている柳之御所・平泉遺跡群の白鳥舘遺跡を上空から撮影した写真

 白鳥舘遺跡(しろとりたていせき)は、JR前沢駅の南東約3キロメートル、北上川と白鳥川が合流する付近にあります。遺跡は北上川に半島状に突き出た丘陵です。

 この遺跡は、平安時代末期の豪族である安倍頼時(あべのよりとき)の八男、白鳥八郎則任(しろとりはちろうのりとう)あるいは行任(ゆきとう)の城といわれ、安倍氏が前九年合戦(1051~62年)で源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)父子に敗れて滅亡した後、室町時代末期には白鳥氏が居城したと伝えられています。

 白鳥地区の歴史は古く、平安時代中期(10世紀前半)に完成したとされる書物にすでに名前が見えます。それによると、白鳥は胆沢郡の郷のひとつであり、伝馬(でんば)5頭を常備する東山道(とうさんどう)の駅家(えきや)があったことがわかります。前九年合戦の記録には、康平5年(1062)衣川関(ころもかわのせき)を破った源氏軍が白鳥村を通過したと記事があります。また後三年合戦のさなかの永保3年(1083年)には清原真衡(きよはらさねひら)の館の襲撃を企てた藤原清衡らが、その道すがら白鳥村の在家(ざいけ)400戸を焼き払ったことが記録に見えます。これらの記述から、白鳥村は、古代以来、南北を往来する主要道の通過点であり、古代・中世においては経済・軍事上の重要拠点であったと考えられます。

 白鳥舘遺跡では、平成15年と17年の発掘調査によって、10世紀から16世紀までの遺構や遺物が出土し、約600年にもの長期に渡って断続的に利用されていたことがわかりました。10世紀には集落跡であり、14世紀の後半には城館として大きく整備されたようです。この城館は15世紀にさらに大きく改修しており、現在見られる堀跡や土塁(どるい)などが作られたようです。11世紀と12世紀、安倍氏や藤原氏の時代については、どのように使われていたのかまだ確証が得られていませんが、この時期の土器や陶磁器などが出土していますので、なんらかの施設が存在したものと思われます。
 白鳥舘遺跡がこのように長い間利用されたことは、ここが北上川交通の要衝であったことが主な理由と推定されます。白鳥舘遺跡は、古代以来、陸上交通の要衝であった白鳥地区において、水上交通をも制する重要な拠点として利用された遺跡と考えられ、平泉文化を支えた北上川交通のあり方を考えるうえでも貴重な遺跡といえます。
 このことから、平成17年7月に「柳之御所・平泉遺跡群」として国史跡に指定されました。

アクセス

  • (注意)東北自動車道平泉前沢インターチェンジから車で約5分
  • (注意)前沢駅から車で約8分

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