奥州羅針盤(5年9月)

更新日:2023年09月29日

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   今回のテーマは「大谷翔平はなぜ誰も歩いたことのない道を軽やかに歩けるのか?」です。
   ご両親の教育が影響しているのはもちろんですが、自然体で数々の偉業を達成する姿は、何かに守られているような気がします。
   西暦901年に、突然太宰府に左遷された菅原道真の家族が、太宰府とは逆方向の鎮守府胆沢城に落ち延びたことと関連付ける人もいます。家族とは、道真夫人と娘二人、息子一人です。家族は追っ手を避けて別々の場所に住み、地元の人々は、この高貴な家族を敬い、夫人の住所を母体、姉の場所は上姉体、妹の場所は下姉体と名付けたといわれています。息子は真城北野でした。
   8月某日、彼らがそれぞれの地で建立した天満宮を知人に案内してもらったところ、息子の北野天満宮(真城)、姉の八房天満宮、妹の天満宮(新山神社内)は全て車で10分ほどで回りきれる距離でした。道真夫人は、自らを吉祥女と名乗り、道真公の没後3年で亡くなり母体にある吉祥神社(現・一関市田河津)に埋葬されました。
   さてここからがミステリーです。地図上で地元のマイアネタウン天満宮菅原神社から、姉の八房天満宮と妹の天満宮を結ぶと、その延長線上に母体の吉祥神社に到達し、菅原神社から南西にある息子の北野天満宮を結ぶとそのずっと延長線上に大宰府天満宮が存在します。そしてそして、菅原神社と3人の子どもたちの天満宮を結んだ四角形の中に、大谷翔平少年の育った実家、よく遊んだ広場や姉体小学校が存在します。また、ある天満宮には八幡様(武士の神様)も並んで祭られており、文武両道(二刀流)の世界です。
   われわれも大谷選手を見守っていきましょう。

「奥州市長 倉成 淳」サイン

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