牛の博物館友の会 活動
トンコナン修復支援活動報告
~長い間のご支援に感謝します~
ごあいさつ
インドネシア・トラジャ県におけるトンコナン修復支援活動につきましては、特段のご協力とご指導をいただきありがとうございました。
当初は、民間団体の名もない者たちで、海外支援活動は荷が重すぎるとの批判もありましたが、私たちの向こう見ず的な計画にもかかわらず、前沢町内はもとより全国各地から貴重な浄財が寄せられました。皆様のご厚意により、当初5棟の修復計画でしたが、1棟の契約を見ることができました。
私たちの小さな町、ささやかな経済支援活動の発信でしたが、国際的友好に多少なりとも貢献できましたことは、全国各地からの善意のたま物と感謝申し上げます。
トンコナン修復支援活動委員会代表 菊地 市夫
タナ・トラジャの位置
タナ・トラジャはインドネシア・スラウエシ島の中央部に位置し、赤道直下でありながら標高300mから2,800m余の間にあり、比較的涼しい気候の中でコーヒーと米を生産する農村地域です。サダン・トラジャ族は、南スラウエシ北部のタナ・トラジャ県を中心とする山岳地域に居住する少数民族です。彼らはアルク・ト・ドロと呼ぶ“先祖からのやり方"を忠実に守り続け、精霊信仰に基づいた精神文化を形作ってきました。近年、盛大な葬送儀礼を営むことと壮大華麗な舟形屋根を持つ高床式の建造物(トンコナン)が注目され、インドネシアでは、バリ島やボロブドールに次ぐ観光地として、欧米の外国人観光客が大勢詰めかけています。
トンコナンについて
トンコナンとは、トラジャの人々が先祖から受け継ぎ今も住み続けている家で、高床式の木造舟形構造をした生活空間及び儀礼の場でもあります。トンコナンを建てる場合は、家族や村人の相互扶助で行ないます。釘を1本も使わない建築技術は、世界的に評価されているもので、外回りの壁面には美しい彫刻板がはめ込まれ、独特な造形美をかもし出しています。これらの技術は、すべて先祖から口承伝承され今日に残ったものです。

トンコナンの屋根の葺き方は、地域によって多少違っています。主なものは竹、板、石板などがありますが、竹で葺いた屋根が圧倒的多数を占めています。高床式の部屋数は3~4室、現在は3室が一般的です。屋根を反り上げるため、ひさしを支える棟持柱を家屋の正面に建て、この柱に儀礼の場で犠牲にした水牛の角を飾りつけます。トンコナンは、南半球にあるため正面を太陽の方角である北向きに建て、反対側にアランという米倉を南向きに建てています。アランも高床式でトンコナンの小型版です。広場を挟んでトンコナンとアランが、数棟ないし十数棟も並列しているのがトラジャの一般的な集落の景観です。
活動経過
トラジャでは、近年、経済発展の進展によりトンコナンの屋根を安価なトタンに変え、あるいは修復ができず朽ちていくトンコナンが目立つようになり、伝統的社会の景観が大きく変わってきています。
牛の博物館及びトラジャ・ママサ文化保存会は、公私にわたりトラジャの人々と交流を続けてきましたが、このようなトラジャの状況を踏まえ、トラジャの人々の依頼を考慮し、1998年(平成10年)3月「トンコナン修復支援活動委員会」を組織しました。
委員会は、牛の博物館の友の会員や町民有志を主体に発足しましたが、テレホンカードや書籍の販売、募金の呼びかけを通じ、全国からたくさんの方々にご支援をいただきました。こうした募金をもとに、事務局では、緊急性、歴史性、希少性、特殊性の高いトンコナン及びアランを調査選定し、現地ファミリーとの交渉のもとに、合計10棟の建物の修復支援を行いました。この間、フォーラムやチャリティー演劇の開催、各マスコミへの情報提供や訪問交流など、3年半余りにわたり支援活動を実施してきました。
2001年(平成13年)8月4日、委員会は活動報告会を開催し、経過報告及び会計報告を行い解散いたしました。また、事務局では、9月15日から24日まで第5次の現地調査を行い、最終的な現地の確認を行いました。
1998年3月 | トンコナン修復支援活動委員会設立 |
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6月 | 第1回フォーラム開催 |
8月 | 第1次現地調査 |
8月 | 修復支援チャリティー開催 |
1999年3月 | 第2次現地調査、修復物件の契約(7棟) |
6月 | 第2回フォーラム開催 |
8月 | 第3次現地調査 |
2000年1月 | 修復物件の追加契約(3棟) |
9月 | 第4次現地調査 |
2001年8月 | 活動報告会 |
9月 | 第5次現地調査 |
○修復状況
メンケンデック地域
- 朽ちかけていた
バヌア・パプアンガン - 見事に修復
(1999年8月23日確認)
枠内の写真をクリックすると拡大写真が見られます。
山岳地帯のバルップ地域
トンコナン・バンバ(ケテケス地域