The Cattle Museum
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サルと人の関わり
  三戸幸久 日本モンキーセンター学芸員

 日本人は、ニホンザルをどのように見て、どのようにつき合ってきたのでしょうか。
 縄文時代の遺跡、おもに貝塚遺跡からですが、北海道を除いて全国に、サルの骨が出土しています。ということはサルを捕って食べていたということです。
 獣を食べる意味は、私たちがいま動物を食べている意味とだいぶ違うものがあったと思います。たとえば明治時代くらいまで、心臓が悪ければ動物の心臓を食べる、あるいは頭が痛ければサルの頭を食べる、そういうことで悪い部分を直そうということがあったようですが、縄文時代はそうした意識がもっと強かったのかもしれません。元気で強い相手の命というかエネルギーを自分がもらいうける、いただく、引き継ぐ、あるいはあやかるということで、その感覚はアニミズム的だったのではなかったか。現在でも色々な種族民族でそのような風習が見られるようです。過去においてはそういうことが普通にあったのではないかと思います。
 骨だけではなく、土で作った人形も出土しています。
■縄文時代のサルの土偶
 (青森県弘前市裾野出土)
 青森県弘前市内の裾野遺跡からでてきた土人形(土偶)には細い棒で穴をあけた文様(刺突紋)が入っています。他の獣もこうした文様が入っていますので、これは体毛を表すものとされ、獣の土人形であることが分かります。またこの土偶を下から見た実測図を見ると、尻尾とニホンザル(マカク類)に特有の尻だこがあり、メスの生殖器が形作ってあります。おっぱいもあります。さらに脇の下に穴が空いており、ぶら下げて使ったということがわかります。
 その他にも東北地方、特に青森、岩手でサルの頭の土製の人形がでています。宮城県の名取郡から出土した縄文時代のものとされるサルの頭の土偶もあります。人間の頭にも精霊的なエネルギーを認めていたわけですから、動物の頭が持っている力に対する信仰が縄文時代からあったのかも知れません。
 時代が下って、享保。元文・享保の諸国産物帳に盛岡藩雫石代官所が提出した報告書の中に「サルのい」というのがでてきます。これは胃ではなく胆嚢です。生類の薬種、いきものの薬のなかに「サルの胆」が入っています。「熊の胆」というのもありますが、それのサル版です。サルの胆嚢も苦くて高かったそうです。
 大正時代に全国にアンケート調査が行われ、岩手県の和賀郡が報告しています。4〜5年前までは中央山脈、いわゆる奥羽山脈に50から60頭群生を認めるが近年少なくなってきているというようなことが書いてあります。なぜ、少なくなったかというと、中村先生の報告にありますように厩猿のためというのもあったでしょう。食べたということもあります。もうひとつ、サル害のために退治したということもあります。サル突き用の長い槍でサルを退治すると同時に利用したのでしょう。東北地方はサルを食べていたという記録がありますが、東北地方に限らず、島根県でも大正時代のサル退治の写真があります。サルは毛皮を使いますし、肉も食べますし、頭骨はもちろん厩猿にも使ったことでしょう。頭骨は焼いて薬にもしていました。このようなことから、サルは明治から大正にかけて広く分布していましたが、人間がさまざまな理由(食料として、薬として、厩猿として、毛皮として、猿害駆除として)で捕獲したことにより少なくなったのではないかと推測することができます。
 つぎに厩猿の起源について考えてみましょう。古くは牛や馬のまわりで舞うサル引きがそのルーツだったようです。
 平安時代末期の梁塵秘抄という唱謡歌集に出てくるんですが、厩(うまや)の隅に飼っているサルは綱から離れてよく遊ぶ、木に登って遊ぶというようなことが書いてあります。平安時代の末期から室町に入っていく時代には、もう厩の中にサルが飼われていたということがわかります。奈良平安の時代に皇居の中の馬牛の所にサルを飼ったという絵もあります。石山寺縁起にも厩にサルが描かれています。
 馬を飼っている場所で生きたサルを飼うということがどういうことなのかといいますと、ニホンザルはご存じのように肉食ではなく草食です。有蹄類の馬や牛にとってはサルは害がなく、一緒に飼っていると相性が良く、サルが横にいると馬や牛が非常に安心するというのです。
 野生状態でサル類と馬は生息環境が違いますが、鹿とかイノシシといったものとの関係をみますと鹿や猪はサルの生態をうまく利用しているのです。というのは、サルの群れは木から木へ飛び移りながら木の実を食べていくわけですけれども、たくさん食べかけの実を落としますし木を揺すれば実が落ちます。すると地上で生活しているイノシシや鹿は、それら落ちてくるおこぼれを食べて歩くのです。これはなかなか得難い食料なのです。
 同時に、樹上で異変が起これば危険信号となって鹿やイノシシも逃げます。逆に地上での肉食獣の接近は樹上にいるサルへの警戒警報にもなるといった、お互いの信号、情報が共有、利用できるわけです。そういう意味で信頼関係が生まれやすいといえます。
 広島県宮島のニホンザルでは鹿の上に乗って毛づくろいまでします。のみ取りまでしてくれます。しかもサルに対しては安心しています。こうしたことから草食獣であるサルと馬、牛などの関係も同様に容易に信頼関係が築かれるものと思われます。
■厩につながれたサル (石山寺縁起;平安末期)
 このように考えると厩にサルをおくというのは、非常に有用で効果的なサルの利用方法であり飼育風習です。それがいつのまにか信仰となって、サルは馬や牛の守り神と考えられるようになったというわけです。
 以上からサルがかつてはその力や安産などの信仰があったようにサルと馬や牛の守り神としてもまつられ、現代においても日本の各所で厩ザルとして残っていることを見つけることができるわけです。

ごあいさつ 東北地方の厩猿信仰 形態学からみたサル 遺伝学と厩猿 資料