The Cattle Museum
資料2  資料3  資料4  厩猿合同調査に参加して 表紙へ

前沢町で見つかった厩猿
  黒澤弥悦 牛の博物館学芸員

 正月、干支にちなんだ企画展「お猿さん」を新聞で知った古城字横道の志和守さん(66農業)が「我が家に同じ様なものがあるよ」と言って、煤で黒く変色した猿(ニホンザル)の頭の骨を持って牛の博物館へ来ました。
■厩猿を手に持つ志和守さん
 この頭骨は、志和さんがまだ少年だった終戦直後、築300年は経つ茅葺きの直家の自宅を建て替える時に出てきたもので、近所の古老に「縁起物だ」と言われ、守さんの父親が大切に保管していたものだそうです。志和さんのお宅では、かつて農耕馬を飼っていて、「馬小屋と母屋がつながっていた所に藁に包まれ、ぶら下がっていた」と、見つかった時のことを思い出してくれました。
 猿の頭骨は、「厩猿」と言って、牛馬の健康や安産、それに豊作や火防祈願などのために、猿の頭や手を畜舎に祀る民間信仰で用いられていたものです。江戸時代に流行していた信仰で、インド・中国がその起源とされています。ほかに猿曳き駒と呼ばれるお札や絵馬があります。
 では、なぜ猿と馬なのでしょうか。これは、おまじないの宗教・陰陽道からきています。陰陽道では十二支を五行(木火土金水の五元素)にあてはめますが、午は「火」の盛んな中心に、申は「水」の生じ始めにあてられています。神経質な馬の感情を火に見立て、午(馬)の「火」を申(猿)の「水の初め」で制御しようというわけです。
 厩猿信仰は、今では見られなくなってしまい、それを知る人も少なく、頭骨や手などの資料がわずかに残っているだけです。
■厩 猿
志和 守 氏所蔵
(岩手県前沢町古城)
■厩 猿
阿部 勇 氏所蔵
(岩手県前沢町古城)
 長年にわたり調査を行っている京都大学霊長類研究所研究員の中村民彦さんによると、県内には20例の資料が残っており、近隣では、胆沢町と江刺市から各1例見つかっています。志和さんが知らせてくれた頭骨は、県内では21例目で最南端での発見となり、信仰の分布の広がりを知る貴重な資料です。
 頭骨は、長さ12.7センチ、幅が8.6センチで、10歳前後の雄猿と見られます。前沢町を含め県内では、現在いずれも猿がいない地域での発見だけに、猿と昔の人々の暮らしがどのような関わりがあったのかなど、調査の対象が広がっていきます。
 頭骨は、これから京都大学霊長類研究所でDNA(遺伝子)の分析が行われ、猿の来歴や民間信仰の分布と伝播について明らかになると思います。
(広報まえさわ 2004年3月号より転載)


ごあいさつ 東北地方の厩猿信仰 サルと人の関わり 形態学からみたサル 遺伝学と厩猿