The Cattle Museum
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遺伝学と厩猿
  川本 芳 京都大学霊長類研究所助教授

 最後に遺伝の話をさせて頂きます。3人の方々は厩猿に関係することをお話しされておりましたが、私の方は、なんで遺伝をやっている人間が厩猿を調べているのかということをお話ししたいと思います。
 今、毛利先生のお話しにありましたとおり、サルというのはもともと熱帯が原産です。世界にはいろいろなサルいますが、一番寒い所に住んでいるサルとして有名なのがニホンザルです。下北半島にいるニホンザルが野生のサルでは世界の一番北に生きています。ニホンザルは狭い国の中にいる一種類のサルなんですが、温暖な地域から積雪地帯までいろんな環境の中に適応して、寒さの最前線で頑張って生きているという種類だといえます。ニホンザルに近いサルの仲間はだいたい16種類から19種類くらい分類されていますが、ほとんど主だったものは熱帯地域、東南アジアや南アジアといったかなり暖かい所に住んでいます。一部のものが温帯、冷温帯の方に進出してきてニホンザルが一番北にいるわけですが、中国の華南周辺にアカゲザルとか台湾にタイワンザルという近い仲間がいます。何が知りたくて研究しているかというと、実は、ニホンザルがどのようにしてニホンザルになったかという進化のことを知りたくてニホンザルの血液を抜いてその中の遺伝子を調べるということを学生時代から続けてきました。そして今、厩猿を調べる研究に身を置いています。
■ニホンザルの渡来ルート
30〜50万年前に朝鮮半島軽油で日本に入ってきたと考えられています。
 東南アジアの熱帯地域から祖先が日本に入ってきたルートというのは、南の島をわたって南西諸島から北に上がって来るルートや朝鮮半島経由で入ってくるといういくつかのルートが考えられます。今のところ、ニホンザルでいわれている説というのは、おそらく氷河期に朝鮮半島経由で一回だけ入ってきて、その末裔が日本列島に広がって今のニホンザルになったというものです。時期的には30万年前から50万年くらい前におきたんじゃないかといわれています。今のニホンザルの分布がどうなっているかといいますと、だいぶばらつきがあります。特に激しく分布が切れているようなところがあって九州、中国山地、そしてさきほどだいぶ狩猟圧がかかったという話があった東北地方です。
 サルというのは、普通は複数のオトナのオス、オトナのメスが一つのグループ中に暮らしています。この群れの中で生まれたサルたちが大きくなり、よその群れに行く訳ですが、オスとメスでは生き様、ライフスタイ
■ニホンザルの分布
東北地方のニホンザルの分布は、激しくとぎれています。
ルがだいぶ違います。どのように違うかというと、群れの外に出ていくのは基本的にオスだけです。ごく稀に例外はありますが、メスは自分が生まれた群れから一生離れません。サルのメスは自分が生
まれた家にずーっといるような形です。ただし、一つだけ例外があって、メスが動くときがあります。どういうときに自分の住んでいる所から変わるかというと、自分が暮らしているグループ全体が増えすぎて分裂してよそに移るとき、メスが別の場所に移るチャンスが稀にあります。このような生態的な特徴をサルは持っています。まとめてみますと、群れはサルの場合には母系社会。メスを中心にした家系が中にあって、オスは出ていってしまうので群れの中心に残りません。もうひとつ、群れが分裂するときに、母系を単位に分かれるという特徴があります。
 サルの遺伝子を調べようということにしたんですが、遺伝子というとお父さんとお母さんから半分ずつ遺伝子をもらって自分の子供を作るというイメージを持たれると思います。それが普通の遺伝子なんですが、ニホンザルの調査をするのに私が調べているミトコンドリ
■ニホンザルの社会構造
雄は成長すると群れを移動しますが、雌は産まれた群れに残ります。大きくなりすぎた群れが分裂する時を除いて、雌は基本的に移動しません。
ア遺伝子というのは違った性質があります。この遺伝子は核の中ではなくて、細胞質にあるミトコンドリアの中にあって、お母さんから子供にしか伝わらない母性遺伝という特徴を持っています。母系社会をとっている動物を母性遺伝する遺伝子で調べたらどうなるかということで今研究を進めています。まとめますと、群れの分裂のときにだけメスが動くというニホンザルを母性遺伝する遺伝子で調べれば、群れがどのように分裂して広がっていったのかという歴史が読めるんじゃないかなということで調べ始めたということです。要するにミトコンドリア遺伝子のタイプを日本中のサルで調べればサルがどのように分裂しながら日本列島に広がっていったかと言うことが見えるんじゃないかということでこの仕事を始めた訳です。
 その結果を簡単にご紹介します。やってみるとびっくりする結果が出てきました。日本列島全体のサルが、大きく2つの固まり、西日本のタイプと東日本のタイプに分かれました。中身を細かく見ていきますと、東日本タイプはちょうど兵庫県と岡山県くらいの所に境があります。そこから東側ということです。この固まりの中に入っているサルたちを遺伝子で見ると、いろんなタイプがちょっと行くとちょっと変わるというような非常
■ニホンザルの遺伝子タイプ
兵庫県と岡山県あたりを境に西日本タイプと東日本タイプに大きく分かれています。
に密に少しずつ変化していくという形です。だから群れが分裂しながら少しずつ変化していったという形が日本列島の東側で見えてきます。紀伊半島のサルがちょっと他と離れていますが、だいたい全体に緩やかに変化しているように見えます。例外がありまして、東京の奥多摩とか埼玉の秩父、それから山梨県の盆地の北東部くらいから新潟に抜ける辺りになぜか、遺伝子で見ると全然東日本タイプでない変な集団が固まりで住んでいます。これは後でお話しします。一方、今日の話題の中心である東北のサル、厩猿の関係する地域を調べてみると、福島から下北半島まで実はほとんど一つのタイプしか出てきません。おかしなところは、とにかく非常に広い地域に及んでいるにもかかわらず遺伝子のタイプはすごく限られていて一つのタイプでほとんど代表されてしまいます。東北地方唯一の例外として、岩手県の孤立した個体群で五葉山の群れがあります。北上川の東側、北上山系です。そこだけなぜか東北全体の中で異質なのです。なぜこんなことになっているのでしょうか。
 東日本と比較するために西日本の説明もしておきます。先ほどいいましたように岡山と兵庫の県境くらいの所から西側の四国九州を含む地域です。東日本ではちょっと場所が変わると遺伝子もちょっと変わるということで、枝が短く沢山いろんなタイプがありましたが、西日本ではそうではなく、ぼこぼこ抜けています。抜けているということは、場所を離れると急にガクーンと変わってその間のタイプというものが全然見つかりま
■東日本のニホンザルの遺伝子タイプ
遺伝的な距離が近く、群れが分かれた歴史が新しいと考えられます。特に東北地方には遺伝子型が全く同じサルが分布しています。東北地方では五葉山のサルのみ異なった遺伝子型を持っており、注目されます。
せん。だから西と東の様相が遺伝子で見た場合だいぶ違います。それも、群れの分裂の歴史を反映しているだろうと考えられるミトコンドリア遺伝子で違うのです。全体を一つの図で表現してみますと西日本側、九州から中国地方、そして四国、紀伊半島、変な集団、奥多摩秩父というのは蜘蛛が足を伸ばしたような長い枝でつながっています。紀伊半島から東側の地域というのはかなり広い地域ですが、こちょこちょと小さな枝でつながっていくような固まりで、全然違った構造をとっています。特に東北地方に限っていえば、ほとんどが一色、タイプ1型で、唯一の例外の五葉山というのは、ぽーんと2型と違う形で出てきています。これが、ニホンザルの分裂の歴史を反映した遺伝子のパターンだというと、どのように解釈したらいいのでしょうか。
 ここまでが事実で、この先は解釈です。そして、そのあとに厩猿が出てきます。まとめてみますと、ミトコンドリア遺伝子の分布の特徴で東日本と西日本で遺伝子のグループが大きく2つに分かれました。解釈として、枝が長くて間が抜けてみえる西日本のサルたちはおそらく歴史的に見ると古いんだろうと考えられます。それに対して東日本のサルでは非常に密にいろんなタイプがくっついて分布しています。最後に東北、寒冷の極の所で遺伝子のタイプが変化する時間もないほど共通のタイプが広い地域に分布していると考えると東日本の方が新しいという、時間的な
■西日本のニホンザルの遺伝子タイプ
遺伝的な距離が離れており、群れが分かれた歴史が古いと考えられます。地理的には東日本に分布する奥多摩・秩父のサルは、遺伝子タイプで見ると西日本タイプの集団に属しています。
差があるんじゃないでしょうか。特に東北のサルは例外的に広い地域で均一です。しかも狩猟圧の影響で今の分布は切れ切れで孤立した地域個体群が東北の北にあるにもかかわらずその差すらないことを考えますと、ニホンザルの歴史の中ではごく最近に急激に広がったんだろうと考えられます。そういう全体像の中で東北地方で例外である岩手県の五葉山のサルは東北の中でもなぜか別系統であり、どう来たのか今のところ分かりません。それから奥多摩秩父というのは場所は東日本ですが、遺伝子的にはなぜかむしろ西日本タイプに入るグループが東日本に埋め込まれています。これをどう解釈するかと言うことですが、たぶん、こういう違いを理解する上では、ずーっと漫然と寒い場所にニホンザルの祖先が一回入って住み続けたということでは説明できないと考えています。きっと、日本列島に一回入ってきた祖先が、日本という国の中でだいぶ動いたのではないでしょうか。この動くきっかけとなった要因として氷河期の後に温暖化してまた氷河期が来るという寒暖の差で日本列島の環境が大きく変化したことが考えられます。地形も変化しましたし、植生も変化しました。そのような中でニホンザルの祖先が寒い所に分布を広げたけれどもまた戻って、また出ていってという繰り返しをしたのではないでしょうか。一番
■ニホンザルの遺伝的な距離
西日本のサルに対して、東日本のサルは遺伝的に近く、よく似た遺伝子を持っています。
最後の寒冷期というのは今から2万年前にありましたが、植物の花粉を分析したりする仕事からその頃の地形と植生図を作成すると現在と全然違っています。今のニホンザルが暮らせる環境からすると、とても東北地方とか関東とか中部の山岳地帯は寒すぎて住めなかったと思われます。ということは非常に近い過去ですが、2万年くらい前にニホンザルの祖先はかなり南の方に一度避難していて、その後の温暖化に伴って、急激に東日本、東北の方にがーっと広がっていったと考えられます。ではなぜ奥多摩秩父は東日本なのに西日本タイプなのかというと、寒い時期にも限られた地域、例えば太平洋岸の一部に孤立するような形で残っていた群れの末裔が広がって今いる可能性があります。つまり残存型の古いタイプのサルが奥多摩秩父のサルの祖先ではないかと解釈しています。まとめますと、たぶん最後
■環境による植生の変化
約2万年前の氷河期には、東北地方にニホンザルの生息に適した環境はありませんでした。
の氷河期の一番寒かった2万年程前にニホンザルはいったん東日本から消えてしまい、それ以降、約1万年以内の中で後氷期の温暖化により落葉広葉樹、ブナなどが広がっていき東北の今の極相林ができあがっていく中で、再度東北に進出して今のようになっているのではないでしょうか。
 例外の解釈ですが、五葉山についてはまだよく分かりません。ひょっとして最後の氷河期に東北地方のほんの一握りの地域にずっーと堪え忍んだ変なやつの生き残りかも知れませんし、このプロセスでいうと、最後に東北に入ってきた祖先が一系統ではなくて2系統東北に入ってきた、そういう関係かも知れません。奥多摩秩父は氷河期に祖先が残っていたのではないか。
 ここまでがニホンザル全体の遺伝子の中からニホンザルがどうやってニホンザルになってきたのかという話です。ではなんで厩猿なのかということを少しだけ説明します。それは、過去の検証です。実は東北の北の3県はほとんどサルがいないといってもいいような空白地帯だらけです。その中で五葉山だけ非常に変
■北東北のニホンザルの分布
わったサルがいます。ここには絶滅寸前の5群100頭くらいのサルが生息しています。これはいったいなんだろうということで最初にやったことは、ほんとうに全部の群れが変わった遺伝子を持っているか調査することです。しかし、ここのサルは人をすごく怖がっていて、なかなか会えません。そこでとった作戦は、糞の表面とか中に残っている腸の細胞をDNAを分析するときの材料にして調べるというものです。そして、限られた5つの群れの中で3群しかまだ調べていないんですが、この3群が一種類の遺伝子しか持っていないことを確認しました。この中では一色であとは全部違います。だから五葉山というのは非常に変わったサルが絶滅しそうなんだけれどもまだいるといえます。
 狩猟圧がそんなにかかっていなかった時期はまだ残っていたんですが、今の調査で私たちができる限界というのは糞を集めてここまでしかできません。抜けている部分の情報はもうとれない、と諦めかけていたときにこの先生方と接触を持って、厩猿の存在を知りました。過去の検証と言うことは、糞でやるその先をやろうと言うことで、骨の中に残っているDNAを使って、絶滅したサルがどのようなサルだったか調べることができるんじゃないかということでこの仕事を始めました。実際は私の技術が未熟で、なかなか骨の中のDNAの分析がうまくゆきませんが、徐々に進めています。共同研究者のご協力により岩手県の山形村で保存されていた厩猿4体の骨の中に残っていた遺伝子のタイプが、東北地方に広く分布している1型ではなくて五葉山に出てくる2型だということがわかりました。これは五葉山にしか残っていない遺伝子タイプです。東北にいるサルがどうして今のようになったかをもっと探るために厩猿を利用させて頂いて、この土地にどんなサルが生きていたか調べたいと思います。この調査は、東北地方のサルが人間にどのような影響をうけてきたかという研究にもなるでしょう。厩猿と遺伝の研究の関係について話をさせて頂きました。
■サルの糞からDNAを採取する
五葉山に生息する5群のうち、調査した3群は、全て2型の遺伝子タイプを持っていました。
■山形村の厩猿と五葉山の厩猿の遺伝子型が一致

ごあいさつ 東北地方の厩猿信仰 サルと人の関わり 形態学からみたサル 資料