日本の犂Plows in Japan
西日本では、牛をつかった耕起がさかんで、畿内では、平安時代に牛に犂をひかせて田畑を耕していた記録があります。近畿地方を中心に使用されていたのは、犂が地面と接する「犂床」が長く、安定して地面を進むことができる長床犂です。
一方、東北地方は馬の産地ではありましたが、江戸時代までは田畑を耕すのは人力で、牛馬をつかう習慣がありませんでした。東北地方において、牛や馬が犂をひいて田畑を耕すようになったのは、明治期以降です。犂の先進地であった北九州地方から、「馬耕教師」と呼ばれる人たちが派遣され、牛馬の調教や犂の利用技術を伝えたからです。当初導入されたのが、犂が地面と接する「犂床」が一点のみの「無床犂」で、左右の水平梶棒を抱え持つように操作したので、「抱持立犂」と呼ばれ、操作に熟練と体力が必要でした。やがて、明治33年、初心者や女性にも扱いやすい「短床犂」が発明されます。短床犂は、犂床が小さな平面になっているため、土の上で姿勢を安定させやすく、明治の終わりから戦後まで広く全国で使用されました。
主な展示資料
- 無床犂(抱持立犂)
- 短床犂(高北式双用犂)
- 牛の頸木
- 牛のはも
- 馬のはも
◆[牛と人とのかかわり]メニューへ戻る◆