The Cattle Museum
資料1  資料2  資料3  厩猿合同調査に参加して 表紙へ

牛馬と猿

 猿が厩の守り神であるという信仰は古く、鎌倉時代(正中年間1324〜1326)に成立した石山寺縁起絵巻には、厩につながれた猿が描かれています。江戸時代中期に大衆芸能となった猿回しは、元々は猿飼と呼ばれる人々により中世から行われてきた厩祈祷でした。祭礼の清めや各種芸能などの勧進物、斃牛馬の処理などは江戸町奉行の元で被差別民衆を支配していた長吏の支配下におかれていたことから、猿飼は被差別民として扱われましたが、猿回しは武士が飼育する馬の健康を祈るために無くてはならないものでした。現在では消滅したようにみえる厩猿信仰ですが、各地に残る猿の頭蓋骨や手、駒牽猿の絵馬やお札などから当時の信仰の一端をうかがい知ることができます。
 猿が馬の守り神であるという信仰はインドから中国を経て日本に伝えられたと考えられています。日本では陰陽道によって体系化され、五行の三合によって馬と猿が関連づけられています。五行思想とは、木・火・土・金・水という五つの気が互いに作用しあって天地の万物を生じたとする考えで、一切を合理化して説明するための原理です。
 この五行に中国で正色とされている五つの色を当てはめると木=青(緑も含む)、火=赤、土=黄、金=白、水=黒となります。次に五行と四季の関係では、木々に青葉が繁るのは春、赤い火のように暑い夏、金のように白く霜が光る秋、冷たい水が黒々とする冬です。土はどの季節にも存在するのでそれぞれの季節の一部を分割して土用として配当されています。さらに、季節と方角の関係を見ると春は太陽が真東から昇るので東、夏は太陽が一年中で最も高く南に輝くので南、陰である秋は夏(陽)の終わりと昼間(陽)の終わりを日没に重ね合わせて西、日の光のうすい冬は北に配当されます。方位を示す十二支は、月建に従って子を北にして右回りに並んでいます。そして、十二支に十二獣を配して五行との関係を見ると、木=卯(兎)、火=午(馬)、金=酉(鶏)、水=子(鼠)という関係であることが分かります。陰陽道では、三合といって世の中に存在する物全てに始まりがあり(生)、次に壮んになり(旺)、最後に終わる(墓)という気の循環が考えられています。そこで季節の中心にあたる兎、馬、鶏、鼠をそれぞれ木火金水の旺として順番にあてはめていくと、火の三合は虎(生)・馬(旺)・犬(墓)、水の三合は猿(生)・鼠(旺)・龍(墓)となります。すると、厩猿信仰は、馬の火(旺)を猿の水(生)で制御しようという仕組みであることが分かります。ここで疑問になるのは、なぜ水の旺である鼠ではなく生じ始めの猿なのかといった点です。それは、たっぷりの水をかけて火を消すのではなく、ちょうど良く制御するためだと説明する事が出来ます。厩猿は馬と同様に厩で飼われる牛にも家畜の守り神としての力を発揮したようで、岡山県など西日本の牛の飼育が盛んだった地方では猿の頭蓋骨が牛神様と呼ばれて信仰されています。また、厩猿信仰の「火災が起きない」といった口承は、猿が水気の動物であることから来ていると考えられます。大衆芸能化した猿回しが旧暦の正月にあたる寅(火の生じ始め)に行っていた門付は、水の生じ始めとしての猿が火災防除の役割も果たすよう期待したものでした。
(牛のはくぶつかん 22より転載※)
※この解説は、厩猿を陰陽道で説明した吉野裕子氏の説に従ったものです。厩猿信仰には、この他にも様々な説があり、中村民彦先生は、猿曳き物語がそのルーツと考えてらっしゃいます。

ごあいさつ 東北地方の厩猿信仰 サルと人の関わり 形態学からみたサル 遺伝学と厩猿