佐藤睦(さとう むつき)・愛理(あいり)さん
幼い頃から「自分の生まれ育ったまちで、人が集まる場所をつくりたい」という夢を描いていた睦さん。「今、自分にできることはお菓子やパンを作ること」そんな思いから、東京で出会った同郷の奥様、愛理さんとともにUターンし、2024年10月、パン屋さんをオープン。瞬く間に人気店となり、奮闘される日々や地元への想いについて伺いました。

- 出身地
- :岩手県奥州市
- 移住時期
- :睦さん 2024年7月 愛理さん 2024年8月
- 職業
- :パン屋経営
移住のきっかけ
幼い頃から、ずっと生まれ育ったまちで、お店をやりたいと思っていた睦さん。
近所のお姉さんがクッキーを焼いていたのをみて「お菓子って、自分で作れるんだ!」と衝撃を受けたことから、お菓子作りに熱中した子供時代。高校卒業後は、東京の専門学校、仙台や東京の有名店でお菓子作りや経営について学びました。
一方、愛理さんも進学のため上京し、その後東京で就職。
それぞれの生活を送る中で、出会ったふたりは「身近で親しみやすいお菓子やパンを提供し、たくさんの人が集まれる場所を地元・奥州市でつくる」という夢の実現のため、ともにUターンしました。
移住までのプロセス
■東京や仙台での生活
お菓子作りを学ぶため上京した睦さんは、東京の専門学校や仙台、東京の有名店で多くの技術を学び、その中でフランスへの留学を目指しました。しかし、当時はコロナ禍で、現地に行くことは難しく、悔しい思いをされたそうです。

その後もお菓子作りを学び続け、より身近なパン作りも学びたいと、東京でパン屋さんへ就職。現在のお店を作り上げるために欠かせない知識を学びました。その傍ら、「自分がどのくらいできるのか試したい」と、個人事業主として独立。その少し前に、地元の友人の紹介で出会った愛理さんにも手伝ってもらいながら、ポップアップ出店※1を開始しました。4カ月ほど、東京でポップアップ出店し、手ごたえを感じた頃、いよいよ「岩手の人たちに、自分たちを知ってもらおう」と、出店先を岩手に移すことにしました。
※1 店舗内のスペース、空き店舗などを借りて期間限定で出店すること
■岩手でのPR開始
移住の1年前、販売拠点を岩手に移し、ポップアップ出店を開始しました。

地元スーパーでのバレンタインデイ催事を皮切りに、コーヒー店での販売や地元イベントへの出店など、採算度外視で、まずは、周知の1年とPRに専念しました。
自らチラシをポストインしたかいあって、スーパーの催事では外まで行列ができるほどでした。
ふたりとも、東京での仕事を続けながら、地元の友人などの手も借り、月に1回~2回、岩手での販売を続けました。
その中で、母校の在校生徒と商品開発も行いました。睦さんが在学中に行っていた、販売実習に目をつけ、母校に連絡したことがきっかけで、探究学習のプロジェクトに参加。「Uターン者の就職や開業支援に取り組む」※2というものでした。
地元とはいえ、つてのない中で開業を考えていた睦さんたちにとって、地元特産品を使い、県民の嗜好を知るきっかけとなり、また開業前にお店のPRができたことは、とても助けになったそうです。

※2 水沢商業高校の生徒が、地域課題を解決するという探究学習で、人口減対策として、Uターン支援を提案。Uターン者の仕事に着目し、Uターン開業を希望している移住者が、スムーズに開業できるよう、岩手県や奥州市の特産を使用し、県民が好む商品を移住希望者とともに開発・販売。移住前に、地元でPRを行い、かつ地元高校や県内事業所と連携し、県内資源を斡旋した。令和5年12月、奥州市役所にて、生徒たちが探究学習成果発表を行った。
睦さんは「店舗を構える前に、少ないリスクで、チャレンジができるポップアップ出店は、たくさんの学びがありました。開業前に必ずやるべきです。」と、実店舗をオープンする前のポップアップ出店はとても重要だと話します。
■いよいよ実店舗開店に向けて
こうして、岩手県でのポップアップ出店を続ける合間に、店舗探しも行いました。奥州市、北上市、一関市など県南地域を車で走りながら、良さそうな物件を見つけては、直接不動産屋へ問い合わせをしましたが、限られた時間での店舗探しは難航し、「最終的には地元にいる家族が、今の物件を見つけてくれて、こういった部分はUターンの強みかなと思います。」と睦さん。

しかし、物件が見つかったタイミングでは、「まだ店をやれるレベルに達していない」と感じていたそうです。
睦さんは当時を振り返って、「とても不安で、それでも、やるしかないという気持ちと、周りの支えのおかげで、何とかオープンすることができました。オープン前の約半年、何としてでもやらなければと、本当に必死でした。」と話します。
一方、店舗の内装工事や機材の準備は、地元の知り合いの紹介や、東京で働いていたお店のつてで、スムーズに進んでいきました。
オープン準備は大詰めを迎え、いよいよ奥州市へ拠点を移すこととなったおふたり。移住後の生活はどのように変化していったのでしょうか。
移住後の生活
■生活の変化
移住直後も、店のオープン準備で忙しいのと、不安なのとで、少々メンタルが弱っていたという睦さんでしたが、もともと、人の多い環境での会社勤めは自分に向いておらず、自分で店をやる方が気楽だったと話します。「余計な人間関係を持たずに、自分だけに時間を使えて、仕事や自分が進みたい方向に100%意識を向けられることは重要」と。
プライベートでも、それほど深い近所づきあいもなく、東京と変わらない生活が送れていると感じているそうです。
10月のオープンから、忙しい日々を過ごしているそうですが、開業後、収入は上がり、生活も安定。移住直前に結婚したおふたりは、奥州市で新婚生活を送っています。市の「奥州市結婚新生活支援補助金」や開業時には、「奥州市創業者支援事業補助金」も活用されました。
休日も仕込みなどで出勤することがほとんどで、それでも休日をうまく利用して、お店や体のメンテナンス、セミナー参加など、勉強を続け、常に変化しチャレンジし続けたいと話す睦さん。
忙しいからこそ、睡眠時間は必ず確保し、体はしっかり休ませるようにしながら、休日は、ふたりで頻繁に仙台へ。「東京にいた頃のように、カフェ巡りやショッピングをしています。隣まちの北上市や遠野市など県内もよく回っています。」というおふたり。
休日は市外に出ることも多いそうですが、日常生活で困ることはなく、奥州市は便利な地域だと教えてくれました。「忙しく、食事は外食が多いですが、いつも同じところに行っています」と、お気に入りのお店も見つけているそうです。
動画配信サービスなどを楽しむのが好きという愛理さんは、「家で過ごすときは、退屈することがないので、都会でも田舎でも変わらず十分楽しめています。」と笑顔を見せてくれました。
<おふたりの1日の生活> | |
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【睦さん】 | 【愛理さん】 |
4時 起床 | 6時 起床 |
4時半 出勤 | 8時 出勤 |
10時 OPEN | 10時 OPEN |
18時半 帰宅 | 18時半 帰宅 |
20時半 就寝 | 22時 就寝 |

■オープンから約半年

半年足らずで、全国に多くのファンを持つ人気店となり、多くのメディアで紹介されています。
「都市ばかりに物が溢れ、地方へ流れてくるまで、時間はかかりますが、今は、SNSなどでいくらでも情報を得られるので、地方にいる自分たちが発信する側になれます。地方の方が、情報が埋もれない分、反応がいいです。また、口コミから広がることが多く、地方は圧倒的に口コミが強いと感じます。ただ、良くも悪くも、すぐに広がってしまうので、妥協せず、リピートしてもらえるよう商品、お客様とのコミュニケーション、接客に力を入れています。」と睦さん。
主に製造を睦さん、販売や従業員の管理、経理などを愛理さんが行い、それぞれの役割をもって、ふたりで協力し、お店を切り盛りしています。今は仕事も、プライベートでもほとんど一緒で、お店のことでそれぞれの意見をぶつけ合うことはあっても、普段喧嘩をすることはまったくないそうです。
従業員にも恵まれ、人のつながりのありがたさを感じているというおふたり。
現在は、店舗販売に加え、卸しや取り置きサービス、通販なども行い、全国へ販売ターゲットを拡大。アプリツールを活用し、より多くのお客様へおいしいパンを届けています。また、食品ロス削減への取組みも行い、10月のオープンから今まで廃棄は一つもないといいます。地域のお客様を最大限大切にしながら、多くのお客様の心を掴み、そして環境にも配慮しています。
地元への思い
「東京で暮らしていた頃、都会に人が集まり過ぎていて、すでに色々なことがパンクしていると感じていました。少しずつ地方に人は流れてきているとは思いますが、地方の特定のまちに一極化しているのではないかなと思います。全国的に考えれば良いかもしれないですが、道府県の中で考えると、何も変わっていないというか、困窮し続けている地域がたくさんあるんだろうなと思います。
一回外に出てもよいと思うし、色々知って、帰らないと決める人もいると思います。だけど、帰ってきたいと思える『きっかけ』になるような取り組みをしていきたいです。パンを売る、コーヒーを売るということはけっこう前の段階で、まちが良くなる循環づくりや飲食店の働き手不足の解消、奥州市に人が集まる場所を、色々な形で作っていきたいと思います。そしてそれが、地元でお店をやりたい理由の一つ『家族や近所の人など、昔からお世話になったたくさんの人への恩返し』にもなればと思っています。」と生まれ育ったまち、そしてそこに住む人たちへの思い、地域課題解決に向けた睦さんの強い思いを聞かせてくれました。
今後の展望

「地元で人が集まる場所を作りたい、たくさんの人が歩いているところをみたいという気持ちで、今、自分にできるパン屋を始めました。小学生の時、ホットケーキを説明書通りにずっと忠実に作り続け、親を喜ばせたいと思ってやっていましたが、結果自分を満たしているということに最近気づきました。どうやったらうまく作れるのか、パッケージのように焼けるのか、ひたすら考えていました。その積み重ねで、今は気温などで毎日違ってくるパン作りがとても楽しいと思っています。
ビジネス目線でやることは長続きしないと思っていて、長く続けられることが大切。流行に乗り過ぎず、分かりやすいものを提供していきたいです。
正直、まだまだ奥州市は、人が集まれる場所が少ないと感じるので、そういう場所をつくって行きたいです。今のお店はイートインスペースがなく、今後2店舗目として、駐車場もありたくさん人が集まれるガレージカフェを構想中です。
今後も日々勉強。少しずつ変化を加えて、どんどんチャレンジをしていきたいです。
僕たちが新しいことをどんどんやっていけば、新たにやりたい人も出てくるだろうし、いい循環になればいいなと思っています。」と語る睦さん。
先輩移住者としてひとこと

移住は壮大なテーマです。Uターンもしくは、Iターン、就職なのか起業なのかなどで、心持が全然違ってくると思います。僕たちはUターンで開業でしたが、相談や話を聞いてほしいとか、聞いてみたいことがあるなどあれば、いつでもお店に来てください。
それぞれ、移住事情は違うと思うし、「移住」というのは、大きなチャレンジだけれど、とりあえず一歩踏み出してみたらどうでしょうか。来たら来たで楽しいし、違う発見もあります。「移住したい」と思っていても、タイミングが掴めなかったり、一歩踏み出せないこともあるかもしれませんが、やりたいことがあればやった方が良いと思います。失敗しても戻れますし。強い意思があれば、希望を叶えやすいんじゃないかなと思います。
忙しささえも楽しみに変え、チャレンジを続けていくおふたり。
生まれ育ったまちやそこで暮らす人たちへの思い、そしてもっとこの地域をよくしていきたいという思いを語ってくれた笑顔の中に、おふたりの強い信念を感じました。
今後も進化し続ける、睦さんと愛理さんから目が離せません。
取材 2025年3月